一人暮らし in ロンドン

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1999年9月に、22年間ずっと暮らしていた京都の実家を離れ、ロンドンで一人暮らしを始めました。

入学願書や申し込み用紙、イギリスの生活事情など、日本で英語のレッスンを受けていたWalter先生に見てもらい準備万端で行ったつもりでしたが…
「イギリス訛りが一切聞き取れない」と言う、典型的な留学生活を始めることになりましたw

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Guildhall School of Music & Drama、1999年頃の入試要項と、当時の図書館の写真(右上)です

まず、学費や生活費を送金してもらうため銀行に口座を作りに行ったのですが、学校でわざわざ新入生を対象にした説明会があったにもかかわらずほぼ聞き取れず、パスポートだけ持って近くの銀行にpop in [ =パッと、サッと入る、立寄る]したのは良いのですが、「You want to open an account? [ =口座を開きたいんだよね?] 」のaccountの意味が分からず(アホですw)、「Can you ring somebody who can speak your language? [ =君の国の言葉を話せる人に電話してくれる?]」と、銀行の電話を渡され、友人に電話越しで通訳をしてもらい、何とか銀行口座を開くことが出来ました。

学校でも中国人留学生に「あの、すいません」と声をかけ見事に「sorry, I don’t speak Japanese」とあしらわれオロオロしていました。笑いに変える以外に生きる道はありませんでした(笑)。
話には聞いていましたが、ロンドンの音楽文化の幅広さ、奥深さに圧倒され、食費を削り、週に8回ほど(!)コンサートに行っていた時もありました。
ただし、そう言う生活ができたのも最初の1、2年程度で、物価、為替レートがどんどん上がっていき、黄ばんだTシャツとボサボサの長髪、ボロボロのカバンでRoyal Opera House [ =王立歌劇場]に行って以来、しばらくはコンサートに行けない日々が続きました(周りはほとんどワイングラス片手にスーツと蝶ネクタイ)。「英国では貧困層もオペラを楽しむことができる」みたいな記事が書けそうですね…。
後から知ったことですが、高額な生活費・学費を日本の両親はお金を借りてまで工面してくれていたそうです。

そんなこんなで生活費も週£7.50(当時の為替レートで£1=約250円、週1,850円の計算です)程で、生き延びるために頑張って卒業まで奨学金を獲得しました。
学長が「I saw your bursary form. What are you eating? Baked beans? [ =君の奨学金の申し込み用紙を見たよ。一体何を食べているんだい? 豆の缶詰?]」と冗談交じりに聞いてきたのですが、僕はそれよりもさらに安いmuesli [ =ミューズリ、平たくした大麦を乾燥させた物とレーズンやナッツなどを混ぜたスイス起源のシリアル]に、これまた一番安い高温殺菌牛乳で1日3回食べていました(たまにスライスしたバナナを足して)。と言うのも、良いミルク(普通のミルク)で1週間そんな食事をしていると、週末にミルクが酸っぱい感じになり、何度かお腹を壊したことがあった為です(アホです、ホンマにw)。
因みに、中々そんな経験をする機会は無いと思われますが、ミューズリのみの生活をしていると数日で疲れやすくなり頭がボーッとして集中力が落ちる為、ギターを練習するには向いていません。と言うか何をするのにも向いていませんw

しかし、それでもお金が底をつき、例の銀行にお金を借りれるか聞きに行った時に(その頃には英語が喋れる様になってました)、担当者の女性が「You know that beautiful piece, uh, Alhambra? [ =ほら、あのすごく綺麗な曲、えっと、アルハンブラ?]」「あ、”Recuerdos de la Alhambra” [ =”アルハンブラ宮殿の想い出”]ですか?」「そうそう!弾ける?」「は、はい…」「弾いてくれたら貸してあげるわよ!」と職権濫用と言うかパワハラと言うかただフレンドリーなだけなのか、結局平日の昼間に銀行のど真ん中でミニコンサート状態になり、居合わせたお客さん達から拍手をもらい、借金をすると言うよく分からない展開になりました。
しかし…それでも学費は払いきれず…どうしようかと思っていた時に、仲良くしていたイギリス人の友人が工面してくれ(長くなるのでこの話はまた改めて)、残りは未払で卒業(逃亡)したのですが、それではさすがにただの犯罪者なので、2年くらいしてから払いました(2年間待ってくれると言う事実も驚きですが)。

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ここの2階で口座を開き、ミニコンサートをしましたw

見方によってはどん底の生活をしていた様にもとれますし、貧乏話はまだまだあるのですが…イギリスに来て言葉が自由に操れなかったからこそ素直に躊躇なくコミュニケーションを取れる様になり、また切羽詰まった状況だったからこそ学校でのレッスンの内容も、生活に関わる全ての事を吸収出来たのかも知れません。
インド音楽の大家 Amjad Ali Khan 氏のマスタークラスにギターを持って参加したり、エレキ・ギターの神様、Steve Vai 氏に写真を一緒に撮ってもらいギターにサインしてもらいデモCDを聴いてもらったり、仲良くしてもらっていたゲイのおじさんが遺産の一部を残してくれていたり、貧乏生活していた分を差し引いても余りある、幸運過ぎるイギリス生活を送らせて頂いています。

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Steve Vai氏(左)、Amjad Ali Khan氏(右上)、友人のStuart(右下)と。

つい先日の話ですが、ライヴのリハーサルの為に出かけた際、西ロンドンで財布を落としてしまい、久しぶりに焦りましたが、何と…その2日後に無くした財布が自宅の郵便受けに入っていました!

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わざわざ郵便局まで足を運び、送料を払い、自分の名前も書かない、そんな紳士になりたいなと思いました。

貧困、階級、格差、移民、差別、暴力、テロ、ロンドンだけではなく世界中で負の部分が目に留まりますが……ロンドンには無茶苦茶いい人が沢山います!:-)

僕の財布を送ってくれた優しい人、嫌な顔せず世間知らずの若者にアドバイスをくれた人、お金を貸してくれた人(笑)…そんな風に自分も優しくなり、それが周りに少しずつでも広がっていくといいなぁ、と、ふと思いました。:-)

 

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About Author

武本英之

京都府出身。ロンドンを拠点に作曲・編曲・演奏活動をするギタリスト。15歳の頃からエレキギターを始め、19歳の頃からクラッシックギターを藤井敬吾氏に師事。1999年からギルドホール音楽院 (Guildhall School of Music & Drama) で学び、奨学金を得てギルドホール音楽院のバチュラー(楽士)、演奏家ディプロマ、作曲家ディプロマを取得。音楽的バックグラウンドはインド、日本の伝統音楽、ポップ、ロック、ヘヴィ・メタルと幅広く、クラシックギターの新しい可能性を追求し続けている。作品に津軽三味線とのコラボ『Four Springs』など。 公式ウェブサイト:www.hideguitar.com

4件のコメント

  1. 武本英之

    Walter先生、また会いたいです!今年中には日本からCDが発売される予定ですので、その時は是非日本でお会いしましょう!:-)

  2. Masako Mizuno on

    涙が伝いながら・・・読みましたとも。はい、覚えていますよ~ 英語の先生-Walterと一緒にLDNへ向けての準備に懸命でしたね。その横には、コノおばさんが居合わせましたね。先日放映のTV番組に続いて、この体験記を読ませてもらい、非常に胸が熱くなりました。多くの人の助けがあった分、Hide君は良い人間なんです!絶対そう思っています。
    好人物であり、人には絶対に信頼される、という人間像の持ち主です。失くした財布が名も知らぬ人から届けられた話には泣けました。そして思ったのは、いつか、Hide君もこれに似た行いをするだろう、という確信です。ロンドンには無茶苦茶いい人が一杯います。貴方もその中の一人に違いありません。応援しています、日本の国から。

  3. 江國 まゆ

    銀行でお金を借りるくだり・・・その銀行員の方は、ヒデさんに「あなたができることをして、お金を借りないさい」と言ってくれていたように思えてなりません。あなたができる、唯一のこと。それで私を感動させることができたら、あなたに投資しましょう。そう言っていたのではないかしら? 当時にしても、今にしても、かなり粋な銀行員さんですよね ^^ そして、結果的に彼女は、right thingをしたわけですから。

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