先日友人に、ここのところ気になっている『ユダヤ人』について質問したところ、たっぷり2時間語ってくれました。もともと話すことに長けている人ではあるものの、ただで聞くには申し訳なくなるような講義でした。彼女は料理上手でお菓子作りもプロはだし。でも縫い物は苦手らしく、ボタンも上手に付けられません。また別の友人で、大学教授で著書もたくさん出版している人がいるのですが、彼はとてもきれい好きで、掃除機がけも奥さんにはやらせず自室も整理整頓が行き届いていらっしゃいます。でもどういうわけか、A4の紙をきちんと四つに折れないのです。人の能力は、住むところや取り巻かれている環境によって、それぞれ変わってくるものではないかと思うのです。
わたくしはチョコレートの包み紙やレシートを手にしていると、つい畳んだり折ったりしてしまいます。折り紙があると、8つに畳んで切り紙をするのが大好きです。日本で生まれ育った日本人であるならば、長いヒモがだらりと落ちていたらまとめて縛りなおしたり、頂き物をしたらなるべくきれいに包装紙をはがし、再利用するか否かはまた別として、まずはとりあえず畳まれるのではないかと思います。一方で、こちらはどうも畳むと言う習慣があまりないらしく、使ったナプキンは無造作にテーブルの上に放り出され、クリスマスや誕生パーティーになると、誰かが黒いビニール袋を持って引きちぎられ丸められたプレゼントの包装紙をゴミとして拾い集めている光景がよく見られます。
レジの袋の『三角畳み』なぞはかなりの高等技術らしく、「まぁきれい!」とおみやげに持ち帰る人や、畳んでいるところをビデオに撮られる方もおいでになります。「簡単なのよ」と教えようとするのですが、三角に折る以前に、まずシワになった袋をきちんと伸ばして、縦に四つに折るということがそもそも無理難題。三角畳みをすれば、美しくコンパクトにまとまるんだわ、とひじょうに深く感心されるのですが、彼らの実際の生活に組み込むには、しち面倒臭い理想郷でしかないのでございます。
神経そのものが大雑把にしか生えていないのかしら、と思いたくなりますが、実はわたくしには己の不器用さを思い知らされるような、器用なお友達がたくさんいます。こちら住まいのドイツ人のアレックスは、日本語で書かれた折り紙の本を見て日本人の私が頭を抱えているのに、やたら関節だらけの複雑で美しい「カニ」を、一回で難なく折りあげていました。動物園のボランティアだったイギリス人のケヴィンは素晴らしいアーティストで、ネコからゴリラまで写真のように精密に美しくキャンバスに描き上げるのです。
身体能力を必要とする運動やダンス、もしくは楽器演奏や美術品、装飾品の作成。優秀な方々はごまんとおります。日本人よりも器用なことが実はできるのではないだろうかと思うことが度々あります。しかし、きれいにものを畳んだり整えたりすることが、生活をする上での利点として取り上げられてないので、日本人から見るととてつもなく不器用で大雑把に見える程度にしか彼らの指は動かないのではないか、と多少の苛立ちを覚えながらも観察しております。