ある朝目を覚ますと、まだ6時台だというのに外は眩しい日の光で輝いていた。それまで何度も同じ想いに駆られながら、結局何日も逃していたこと。それは薔薇が見頃を迎えたRegents Park内のQueen Mary’s Rose Gardensへ行くこと。天気予報では次の日から崩れることがわかっていたので、いてもたってもいられず、布団から抜け出すとすぐに着替えて家を後にした。
タイミングよくきたバスに飛び乗り、目的地のリージェンツ・パークの近くで降りると、一日が始まったばかりのロンドンの空気がいつもより澄んでいて、なんて氣持ちがいいんだろう。思わず立ち止まって深呼吸した。木々の緑や建物のガラス窓がキラキラ輝いている。
足取りも軽く近くの入口から公園の中へ入ると、一瞬目を疑った。それまでの気分が一気に冷める光景、ゴミが散乱していたのだ。
その日は月曜日。前日の週末はロックダウンが少し解除になり、公園が久しぶりの人出で賑わっていたのだろう。とはいえ、投げ捨てられたものではなく、おそらくキツネがいたずらをしてゴミ袋を破り食べ散らかしたのだろう。
そばを通りがかる人はいても、まるでそれが目に入らない様子なのは、それが日常だから。掃除をするのはそれを仕事としている人がするもの、とイギリスでは割り切られてるところがある。
とはいえ朝早いし、ちょっと見渡しても清掃員の姿は見えないし、このまま見なかったことにするには公園の緑が眩しすぎた。すぐ横に大きなゴミ箱があるのを確認して、私は自分の心のモヤモヤを晴らすために迷わずかがんで拾い始めた。
しばらくすると、うしろから”Good idea!” と女性の声がした。えっ⁉︎と振り返ると、私にニコニコしながら道端や芝生の上のゴミを拾ってる。それは彼女だけでなく、その入口から続く若い男性や身なりの整った紳士までが、タバコの吸い殻の類を素手で拾っている。嬉しくもあり、半分申し訳ないような気持ち。私が拾っていることで、自分たちもやらなくちゃって思わせちゃったかもしれないから。 だから ”Thank you” なんて、自分のゴミでもないのに言ったりして。
そしたらあっという間にその場が綺麗になって、みんながそれぞれの方向へ散っていく。さっき声をかけてくれた女性は、 “New trend?” とウインクをして立ち去った。思わず後ろ姿に”Good day!” と声をかけたら、あなたもね、と手を振ってくれた。ますます心が軽くなった。
バラ園まで行く道すがら、どうして一緒に拾ってくれたのか、みんなの心の内を考えてみた。もしかしたら、拾いたい気持ちは初めてじゃなくて、今まで出来ない、なにか阻み、ハードルのようなものがあったのかもしれない。なのに目の前で私がやっていたから、いい考えね、って思わず言葉が出て来たのかもしれない。あくまで憶測だけど。だって家の中では落ちてるゴミはふつうに拾うだろうから。
拾いたかったら拾えばいい。自分の心に、ただ素直に行動するだけ。
その後訪れたローズガーデンは圧巻で、思わず手入れをしている職員の方に「どうもありがとう、あなた方のおかげで、バラもバラを見にきた人たちもみんな幸せそう」と話しかけたら、「今年は特にたくさん花をつけてくれたんだよ」って、周りのバラを、まるで我が子のように眺めた優しげな表情が、今でも心に焼きついてます。
自分の想いに素直に従って家を飛び出したら、たくさんの優しさにふれた一日の始まりになりました。
もちろん最初からなんの抵抗もなく道端のゴミを拾えていたわけではない。そんなことを人前でするのはなんとなく恥ずかしいって思っていた。その気持ちを変えたのは、ある女性の言葉だった。
去年のコロナの自粛期間中、玄関先のガーデンを綺麗に整えてる素敵な住宅街を散歩することも多く、そんなイギリスらしい雰囲気のあるところにペットボトルやスナックの袋が転がっているの見つけては、拾いたいという衝動に駆られていた。
ただ、住宅街はゴミ箱が少ない。だから今度散歩に出るときはゴミ袋を持って出よう、と思った矢先に目の前におあつらえのビニール袋が落ちていて、あまりのタイミングの良さに驚いて、すぐには拾えなかったけど、思い切って小走りに戻り、拾いたかったゴミも一緒に拾うことができた。その時、心が大満足した。
思わずニヤけていたら、向かい側から歩いて来た黒人の女性が笑顔で “God bless what you’re doing that.” そうか、遠慮しなくていいのね。拾いたかったら拾えばいい、そんなふうに意識を変えてもらえる声かけだった。