前回はオフィシャルな「ハレ」の建築物かプライベートの「ケ」の建築物かに関わらず、ロンドンでは建物が古いということ、建築及び景観を保護する規制についてご紹介しました。
イギリスらしいデザインを形容するキーワードにエクレクティック(eclectic、折衷的な)という言葉があります。 ロンドンの街並みはまさにいろいろな年代の建物がミックスされていて、パリのような統一感がないところが特徴です。 イギリス人の「古い物と新しい物のミックス」、「マスキュリンとフェミニンのミックス」など全体を同じテイストの物でまとめない絶妙なセンスは街並みにもよく現れています。
この真髄を発揮するのがまさにビクトリア王朝時代(1837 – 1901年)、今回はロンドンに数多く残るビクトリア時代の建物から現代までです。
4. ビクトリアン様式(1837 – 1901年)
「ケ」
ジュード・ロウやケイト・モスなどスターやメディア業界の人が多く住む北西ロンドンのプリムローズ・ヒルにあるパステルカラーに彩られた家並みのシャルコット・クレシェント。
「ケ」
オリンピック再開発で廃れた元倉庫街から一躍ヒップスターたちが集まるオシャレな地区に変貌を遂げたイーストロンドンのリージェント運河。
イーストロンドンには荒れ果ててはいたが、産業革命後のビクトリア時代に建てられたレンガ造りの倉庫・工場などが多く残っていました。 ジェントリフィケーション(gentrification)の結果、これら工業用建築物が住宅やオフィスに生まれ変わり、ニューヨークのソーホーのような地区となり、 ロフトスタイルが大人気となったのは記憶に新しいですね。
5. チューダー・リバイバル(1850年頃から)
18世紀に起こったゴシック・リバイバルの過度とも言える装飾に対峙するものとして起こったチューダー様式(1485年 – 1603年)のリバイバル。 木造建築時代の様式であり、木の温かみを感じさせます。
「ハレ」
おそらくロンドン一有名なチューダー・リバイバル建築、リバティ・デパート。 20世紀初頭にはアーツ・アンド・クラフツ運動のデザイナーと協業していたリバティらしさを感じさせます。
「ケ」
西ロンドンのノース・イーリングやウエスト・アクトンに多く残るチューダー・リバイバルの住宅。 近辺にお住まいの方はこういう家に住んでいる方も多いのではないでしょうか?
6. アールデコ(1930年代)
「ハレ」
セントラルにある元新聞社デイリー・エクスプレス社のオフィスビル。 力強い直線と曲線で表現されたビルの外観が特徴的。
「ケ」
北ロンドンサウスゲートにある一般住宅。
7. ブルータリスト(1950 – 1975年頃)
ブルータリズム(brutalism、獣のような)は荒々しさを残した打放しコンクリート等を用いた彫塑的な表現が特徴的なモダニズムの一派。 ブルータリスト建築は政府系ビルや公営住宅など機能重視の建築で多く用いられましたが、現代では、居心地の良さとは対極のその冷徹で拒絶的な外観から忌み嫌う人 (チャールズ皇太子が代表的)と大ファンと意見が二極に分かれます。
「ハレ」
ブルータリズムの聖地と呼ばれる代表的な建築バービカンセンター。 元々はシティ・オブ・ロンドンの公営住宅でしたが、映画館・アートギャラリー・図書館や住宅などが入った複合文化施設となりました。
「ケ」
1950 – 1970年代は公営住宅が多く建てられた時期と重なります。 そのひとつキングスクロスにあるPriory Green Estate。
8. ポストモダニズム(1980年代)
合理的で機能優先のモダニズム建築への反発から生まれたポストモダニズム。 丸・三角・四角など幾何学的要素に分解し、装飾的に再構成したのが特徴です。
「ハレ」
テムズ河沿いにあるイギリス諜報機関MI6本部ビル。 威圧的な姿はジェームズ・ボンドの映画を彷彿させますね。
「ケ」
南ロンドンにあるアパートビルCircle。 ビルの前面で円形の広場を円筒状に囲むようなデザインです。
9. 現代
現代のロンドンは世界的に著名な建築家を何人も生み出す現代建築の都の位置を築き上げました。 21世紀は「都市の世紀」と呼ばれる中、人口増に居住スペースの供給が全く追いついていないこともあり、「ハレ」でも「ケ」の建築でも限られたエリアに高層ビルが続々と建てられています。
「ハレ」
ミレニアムを記念して建てられたロンドン在住者にはおなじみの巨大観覧車ロンドン・アイ。 建築当初は忌み嫌う人も多かったですが、テムズ河を挟んでビッグ・ベン(ゴシック・リバイバル建築)の対岸に建てられ、「新と旧のミックス」を象徴するようなロンドンらしい光景となりました。
以上、写真でロンドンという街を形作る建築様式を紹介しましたが、いかがでしたか?
最後に、イギリスの現代の「ケ」=一般住宅のスタイルをひと言で表現するのは難しいものです。 ガイドラインには「周囲の景観 に”sympathetic”(思いやりをもった)であること」という言葉が頻繁に使われており、新築の申請はその立地や歴史などコンテクスト(文脈)に沿って一件一件、個別に審査されるからです。
過去数百年に渡って守り継がれてきた景観を維持するためには、個人の権利も建築家のスタイル表現も関係ありません。 個性は家の中(インテリア)で表現すればいいからであり、外観は公(パブリック)のものだからです。
そのことについて奥山清行氏の『100年の価値をデザインする: 「本物のクリエイティブ力」をどう磨くか』にはこうありました。
(日本でコンパクトシティ化を進めるためには)自然に過疎化が進んで限界集落になるのを待ったあとは、ある程度個人の主権を制限して、街にゾーニングの規制を入れていく必要もあるだろう。 さまざまな地域を、「このエリアは住宅以外、建ててはいけません」「ここは個人向け商店のみの場所です」「ここには小学校と中学校が移転してきますから、立ち退いてください」というように、公の機関が変えていかなければならない。
だが日本人はそれがものすごく苦手だ。 何しろ成田にたった一本の滑走路を通すだけであれだけ大騒ぎして、時間を浪費した民族である。 コンパクトシティ化などと言い出せば、たちまち「私たちの暮らしを根底から破壊する暴挙」といった反対運動が巻き起こるのは必至だ。
そうなってしまう理由は、日本人がみずからの手で民主主義を勝ち取っていないためだ。 ヨーロッパが意外と街づくりの規制を苦にしないのも、血を流して勝ち取った民主主義があるからだ。
日本人にとって、民主主義とは「与えられたもの」でしかない。 だから最大多数の最大幸福のためには、個人の自由が制限される場合があるということを皮膚感覚で理解していない。
そのためには、いかなる場合でも個人の権利を犠牲にするのは間違っているという誤解がある。 欧米の街並みは、多くの日本人があこがれてカメラを向けるが、その景観を維持するためにどれほど個人の権利が制限されているかを想像する人は少ない。
景観を維持するために「最大多数の最大幸福のために個人の自由が制限される場合がある」ことに住人が腹落ちしていること、これがヨーロッパの都市が数百年間も同じ景観を維持できている鍵となっていることについては全く同感です。
「家は自分の分身」と捉えるインテリアに対する姿勢は建物の外観である景観に対する姿勢と対になっているものでなのです。