現在、ロンドン市内で2つの素晴らしい、力のこもった漫画展が開催中だ。一つはケンジントンのJapan Houseで行われている「This is Manga: the Art of URASAWA NAOKI」(7月28日まで)。漫画家・浦沢直樹さんの活動を通じて、漫画の本質に迫ろうという試み。そして大英博物館の「Manga」(8月26日まで)。日本の漫画芸術をその歴史も含めて広く深く知ってもらう包括的な展覧会である。
漫画芸術の卓越性が世界で認められるようになって久しい。
それはアニメ・実写を問わずドラマや映画との関係性においても重要なコンテンツであり、ゲーム市場は言わずもがな。国境を超える芸術だが、日本的な文化素地がなければ十分に理解できない点もあるという意味で、日本の文化に興味を持ってもらう文化交流ツールとしても価値が高い。
恥ずかしながら私も中学生の頃は漫研もどきに所属し、マンガもどきを描いたりしたものだが(なつかし〜!)才能なし。しかし当時、ペンとスクリーントーンで書店に並ぶ漫画と全く遜色のない作品を描く子もいて、心底驚愕&尊敬したものだ(彼女は『超人ロック』が大好きで、とても大人びた子だった)。
昔から素晴らしい才能に恵まれた漫画家さんは、非常に若い頃からその才能の片鱗というか、能力を開花させる。『YAWARA!』や『MASTERキートン』『MONSTER』『20世紀少年』『PLUTO』など、発表する作品全てが大ヒットする浦沢直樹さんも、そんな特別な漫画家さんの一人だ。
今年6月からJapan Houseで開催されている「浦沢直樹—漫画という芸術」ではプレス・デーに参加させていただき、浦沢さんご本人のトークで案内していただくという光栄を得たにもかかわらず、ご紹介が遅くなってしまった。 浦沢さんはさすが! と感じで、漫画の成り立ちやルールについて日本で生まれ育っていない人にも良くわかるように説明してくださって感動。またご自身の作品について興味深いエピソードを披露してくださった。何より漫画愛がひしひしと伝わってきて、聴いているこちらもワクワクとした気持ちを共有させていただいた ^^
すでに小学校に上がる前からコマ割りをしてストーリーのある漫画を描かれていたという浦沢さん。その頃の漫画も今回展示されているだが、その完成度の高さにあっと驚かされる。私は中学生の頃から「ビッグコミック・スピリッツ」を愛読していた稀有なw 地方在住少女の一人だったけれど、残念ながらYAWARA!はスピリッツを卒業した頃に始まりちゃんと読む機会がなかった作品だが、ビッグコミック・オリジナルで連載されていたMASTERキートンは大ファン。単行本化されたものを一気に読んで国際感覚の鋭さに驚嘆したものだ。
この記事を書くにあたって、ほぼ日に掲載されていた糸井重里さんとの対談を読んだのだけど、浦沢さんの想像を絶する漫画ファンぶりにこれまた驚かされた。好きこそものの上手なれというが、浦沢少年の思いがストレートに伝わってくる小気味よい対談記事。糸井、浦沢両氏の手塚治虫さんへの競い合うようなリスペクトも感じられて微笑ましい ^^
大学で漫画についてのレクチャーをすることもあるという浦沢さんがこう言われていて印象的だった。
「漫画の登場人物の表情・身体表現はよく記号だと言われるけれど、自分はそうは思わない。漫画キャラクターは映画の役者のように、もっと微妙な演技をするもの。少なくとも自分の漫画はそうだ。登場人物にいかに細やかな演技をさせることができるかも、大切な要素なんですよ」。
確かに作品の成功はプロットだけでなく、キャラクターの魅力に深く依拠しているものだから、その演技が大きな鍵を握っていることは間違いない。そんな浦沢さんは、上手い役者さんの演技もよく参考にされるという。
ちなみに浦沢さんは漫画・アニメ文化の浸透がフランスやイタリアに比べてイギリスが遅れている現実について「ビートルズが生まれた国で、なぜ漫画が根付いていないのか理解に苦しむ」というようなことをおっしゃっていた。彼は言う。ビートルズの「A Hard Days Night」の冒頭で放たれるチューンを聴いたときの衝撃と、斬新な漫画が読者に提示することのできる衝撃は同質のものなのだと。つまり音楽と漫画には共通するものがあり、「日本の子供たちは皆、ロック・スターになるか漫画家になるかで悩むんだぜ」なんてことをおっしゃっていたけれど、そういう見方を今までほぼしてこなかったので、私にとっては新鮮な見方だった。
イギリスでまださほど漫画やアニメが浸透していない理由として、もちろん日本のアニメを見て育ったイギリス人が少ないからということもあるが、私の認識では、イギリス人はもともと文字を高等なものとして偏愛する傾向にあり、料理のレシピや取扱説明書にイラストも写真も必要としない人たちだし、21世紀の今でもそう。絵柄がないと物事を理解できないようでは、成熟した大人ではないという文化なのだ。だから漫画やアニメを子供のものとして見下す傾向にあったからなのではと思っている。(今ではそれも過去のものになりつつあるけれど)
それに比べて日本は昔からビジュアル文化が王道で発達してきた。それは大英博物館で8月26日まで開催されている「漫画」展を観れば一目瞭然なのだ。
イギリスが誇るアートの殿堂で、包括的な漫画展が催されるというのは実にめでたいことである。展示は北斎漫画や仮名垣魯文、北澤楽天、岡本一平といった先人の活躍に触れつつ、手塚治虫さんから連なる漫画の王道をガツンと紹介している。
非常に充実した展覧会なのだが、日本人としてあえて物言いをつければ、日本の漫画文化は多様すぎてエポックメーキングな作品でさえ名作の全てを紹介しきれていないこと。著作権の問題もあったりするのかも? と思いつつ、あの作品は? あれは? という思いが去来したが、それでも漫画を知らない人には最高の入門エキシビションなのではと思う。(イギリス文化とのつながりを無理矢理強調する演出がいくつか見られ、若干鼻白んでしまうのですがw イギリス人を漫画展に引き込むには致し方のない演出だったのかな)
漫画を描く人は、画力や表現力はもちろんのこと、脚本・構成・演出力の全てを当たり前のように要求される。そういう意味で漫画家は総合監督であり演者であり演出家であり舞台美術家でもあるマルチ・アーティストだ。 浦沢さんと糸井さんの対談を読んでいてハッと思ったのは、浦沢さんがこういう意味の発言をされていたこと。
「連載は、書くそばからストーリーが展開していきます。作者がいちばんワクワクしながら、続き楽しみに描いているんですね。だから次週以降のストーリーを今描けと言われても正直描けない。漫画は即興なのです」
なるほど、漫画は同時進行のインプロヴァイゼーションだったのだ。小説も漫画もキャラクターに引っ張られるということがあると言うが、偉大なる芸術作品が作者の手を離れて自ら物語を紡ぐというのはありがちなことかもしれない。しかしタネはあくまで作者の手に握られている。ひとたび撒かれれば、芽吹いてどのような花を咲かせるのか作者もわからない。しかしタネはそれを知っているし、作者へインスピレーションを送ることでその導きをする。その導きを楽しみながら作者はあるべき姿を掘り出していく。そんな印象を浦沢さんのトークからも伺うことができた。
日本の青少年たちは、少なからず漫画によって自主的な情操教育を受けて社会人になる。漫画の本質は人間性の表現であり、その中に笑いや不条理、情熱や恋愛がある。あらゆる共感と驚きとクリエイティビティを抱き込み、うねりながら人々の生活を刺激し、異なる価値観を提示し、うるおし、豊かにするもの。それが漫画という芸術。漫画の素晴らしさを改めて認識できた2つの展覧会に感謝。今後も漫画ファンとして精進していきたいと思った次第です ^^
またお運びになっていない方は、ぜひ!
◎「This is Manga: the Art of URASAWA NAOKI」
7月28日(日)まで@Japan House London
https://www.japanhouselondon.uk
ショップでは漫画や関連本も多数販売♡ Japan Houseでは7月30日(火)、東京国際映画祭にも出品された北澤楽天をテーマにした映画「漫画誕生」の上映会をするそうです。ご興味ある方はぜひ。
上映会「<漫画誕生>The Manga Master」
https://www.japanhouselondon.uk/whats-on/film-screening-the-manga-master/
◎「Manga」
8月26日(月)まで@大英博物館
https://www.britishmuseum.org/whats_on/exhibitions/manga.aspx
そういえば今、たまたま別の興味から手塚治虫さんのマスターピース『火の鳥』を電子版で読み返しているところなのだけど、こういう漫画がすでに1950年代に骨格が作られていたことがすごすぎる。輪廻という概念を持たない文化圏の人々の目に、この物語はどのように映るのだろう・・・。