2019年は聖杯を追え!

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新年あけましておめでとうございます!

旧年中はあぶそる〜とロンドンをご訪問くださり、誠にありがとうございました。本年もますます充実した内容にしていきたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします!

新年にふさわしいエッセイを何かと思い・・・ちょうど1年ほど前にエジンバラを訪れた際、念願のロスリン礼拝堂を訪問したことを思い出したので、それに絡めて書きたいと思います ^^

* * * * *

ロスリン礼拝堂(Rosslyn Chapel)は、エジンバラから車で30分ほどの距離にある教会です。映画好きの方なら、『ダ・ヴィンチ・コード』で物語の最終舞台になった場所だとお気づきだと思います。

『ダ・ヴィンチ・コード』は宗教象徴学者のロバート・ラングドン教授が、ある殺人事件の容疑者として追われる中で、自らの知識を駆使して謎解きをしていくストーリーですが・・・

物語のキーワードはズバリ、聖杯です!

とても好きになったエジンバラ。中世色の街。

とても好きになったエジンバラ。中世色の街。

あああ

旧市街のVictoria Street

聖杯(Holy Grail)とは、アーサー王伝説で騎士たちに追い求められるミステリアスな聖杯のことですが、のちにイエス・キリストの最後の晩餐で使われた杯や、磔刑時にイエスの血を受けとめた杯などと一緒になって複雑にその意味合いを発展させていきました。癒しや奇跡を起こすとも言われ、その長い歴史の中で「聖杯とは何か? どこにあるのか?」という議論をいまだに巻き起こしているロマンあふれるテーマなのです。これが『ダ・ヴィンチ・コード』では、聖杯とはイエスとマグダラのマリアの血筋に関する秘密に関わっているとされています。イエスとマリアの血筋に関する秘密? つまり・・・聖杯とは女性の子宮を表すものであり、ひいてはイエスとマリアの子孫のことだ、という内容でした。

この橋の先にあるバス停から15番のバスに乗ります!

ロスリン礼拝堂へは、この橋の先にあるバス停から37番のバスに乗ります!

話をロスリン礼拝堂に戻しましょう。

ロスリン礼拝堂は、1446年にスコットランド貴族の11代目ロスリン伯爵ウィリアム・シンクレア卿の創案によって建立されました。英国では「Sinclair(シンクレア)」と綴られていますが、もともとフランスのノルマンからやってきた家系で、「Saint-Clair(サンクレール)」という綴りでも通称されています。ロスリン礼拝堂の公式サイトを見ると「St Clair」で統一されているようですが、この記事では分かりやすくするため、最も一般的に使われている「シンクレア」で統一したいと思います。

ずっと時代を遡ると、シンクレア家はスカンジナビアを拠点に活動し、その後フランス北西部を支配するノルマンディー公にもなったノルウェー人の家系です。でも元をただせばノルマンディー近海を荒らす暴れん坊の一首領だったのです! その頃、ヴァイキングの略奪行為に業を煮やしていたフランスのシャルル3世(当時はカロリング朝西フランク王国)は、ロロとして知られる首領にヴァイキングの上陸を防いでくれたら土地を与えようと取り引きを持ちかけ、両者は合意の印に条約を結び、のちにロロはシャルル王の娘の一人と結婚。フランス王に忠誠を誓いノルマンディー公に叙せられたのですね。この条約を結んだ場所がSt Clair-sur-Epteだったことから、姓をサンクレールに改めたということです。

なんとシンクレア家の祖先はヴァイキングと肩を並べて海で活動するノルウェー人の一首領であり、初代ノルマンディー公だった・・・これだけでも興味深いのですが、この後の一族の歴史もすごいです。

のちに2代目シンクレアとなった人物は、11世紀半ば、従兄弟のノルマンディー公ギヨームとともにフランスからイングランドに上陸します。理由はイングランド王継承権を、この従兄弟が持っていたから。この従兄弟こそ、のちにウィリアム征服王として知られることになる初代イングランド王ウィリアム1世です。2代目シンクレアは、イングランドの歴史を大きく塗り替えたヘイスティングズの戦いで従兄弟のギヨームをサポートして戦い、勝利へと導いたのです。さらに当時のスコットランド王がハンガリーに亡命していたイングランド王家のお姫様を娶る際に、ハンガリーからスコットランドまでの名誉ある護衛役に任じられるなどスコットランド王家との結びつきも強め、その際にロスリン男爵の称号を授かります。

その後もシンクレア家はスコットランド王家を支える頼もしい重鎮として数々のイングランド戦をともに戦い運命をともにします。つまりイングランド王家の縁戚にして、スコットランド王家との絆も揺るぎないものにしていったということ。その血筋を見ると、スコットランド、イングランド関係なく縦横無尽に動けそうですよね。そこを見込まれてか、1156年には3代目ヘンリー・シンクレア卿がスコットランド王デイヴィッド1世からイングランド大使に任命されております ^^

左はバス停を降りてから礼拝堂へと向かう道すがら。右が礼拝堂への入り口。

左はバス停を降りてから礼拝堂へと向かう道すがら。右が礼拝堂への入り口。

それでは、あのスコットランドの運命を決めたバノックバーンの戦いではどんな役割を果たしたのでしょうね? 1314年、ロバート・ザ・ブルース王を7代目のヘンリー・シンクレア卿が力強くサポートし、見事イングランドからの独立を勝ち取っております。このロバート1世が1329 年に病死した際、王の副官であったジェームズ・ダグラス卿にヘンリー・シンクレア卿の二人の息子が選ばれ、王の遺言に従い、その心臓を銀の小箱に入れて聖地エルサレムへと帰還させようという試みが行われました。だからロスリン礼拝堂には、ロバート1世の心臓を持つ天使の彫刻が彫られているのです。

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今でこそロスリン礼拝堂は一般に開放されていますが、建造当初は一族のみが使える私設礼拝堂だったようです。正面のステンドグラス窓にはテンプル騎士団の紋章であるギザギザ十字が堂々と刻まれています(記事冒頭の写真参照)。ゴシック様式を踏襲したデザインは複雑で、天に向かって垂直に伸びる幾本もの尖塔、グロテスクに外部者を威嚇するガーゴイル、そしてフランス人の熟練石工によって彫られた繊細なレリーフなど、見どころには事欠きません。

礼拝堂の内部は撮影禁止で、外観写真しかなく恐縮ですが・・・内部はさまざまな異教のモチーフやらフリーメイソンとの関わりを示唆するものやらオーパーツを描いたもの、たくさんの植物や花、大量の星など、それはまぁたっぷりと、壁・天井・柱を埋め尽くすように彫られています。はて、建築を指揮した11代目ウィリアム卿はどのような思想を持ち、どんな活動をされていた方だったのでしょうね ^^

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スコットランドは、代々シンクレア家が属していたテンプル騎士団とゆかりの深い土地です。聖地エルサレムへの巡礼者防衛を主な目的に組織されたテンプル騎士団も、後にさまざまな特権を得て強大になり、恐れを感じたフランス王によって逮捕され、窮地に追い込まれたとき、騎士団が逃れた先がスコットランドでした。

当時、スコットランドとイングランドは覇権を巡ってドンパチやっていた時代。ロバート1世はライバルを教会内で殺害したことを理由に教皇から破門されていたので、教皇と対立していた騎士団にとっては格好の逃亡先でもあった・・またスコットランド勢がイングランドとの戦いに加勢を欲していたことも、騎士団受け入れの理由として挙げられています。でもそんな理由など薄れてしまうほど、フレンチ=スコッチ・コネクションはそれまでの歴史ですでに確立されていたのでした。

テンプル騎士団の結成はエルサレムにて、11代ウィリアム卿の時代から遡ること300年ほど前の1119年頃に9名のフランス人騎士によってなされたと言います。最初の騎士団長はユーグ・ド・パイヤンという方。この人物が第一回十字軍に参加している際にスコットランドから来ていた3代目ヘンリー・シンクレア卿と出会い、それが縁となってユーグ・ド・パイヤンさんはヘンリー卿の娘であるカトリーヌさんと結婚したという記録があるんですね。テンプル騎士団とシンクレアの出会い・・・それとも、もっと以前からシンクレアはテンプル騎士団だったのでしょうか。

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テンプル騎士団と深いつながりがあると言われているのが、フリーメイソンです。スコットランドはフリーメイソンの原型である石工ギルド誕生の地とも言われていて、一説によると、ロスリン礼拝堂を作るために集めたフランス人石工たちとの密約を確かなものにするために作ったギルドがその始まりだとも。しかもシンクレア家は初代スコットランド・ロッジのグランドマスターだった、という説もあります。研究者によっては、まさにフリーメイソンはこのロスリン礼拝堂から始まったのだ、と結論付ける人もいるほど。テンプル騎士団にフリーメイソン。なんだか中世的な神秘の香りふんぷんですが ^^; そんな背景もあって、シンクレア家の礼拝堂はキリスト教的というよりも・・・異教の香りたっぷりの仕上がりになっているのかもしれませんね。

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もう少し掘り下げてみます。

このロスリン礼拝堂は、実は現在の建築が最終形ではないと言われています。11代ウィリアム卿が構想したオリジナルのグランド・デザインが存在するんです。ロスリン礼拝堂の敷地内で説明されている文章によると、本来は現在の建物の2倍の大きさになる予定だったのですが、ウィリアム卿は40年に渡って直接工事を指揮してきたにもかかわらず完成を見ずして亡くなってしまいます。引き続き子息であるオリバー卿が監督を引き継いだのですが・・・父が構想したグランド・デザインを最終的には断念してしまいました。

このウィリアム卿のオリジナル・デザイン。実は古代エルサレムに存在したソロモン王の神殿を真似ようとしていたのではないか・・・と唱えている研究者が複数います。実際に、資料を集めてそのレプリカだと主張している研究者もいます。確かにエルサレムはテンプル騎士団が誕生した場所であり、守ろうとした聖地です。そして、テンプル騎士団の正式名称は「The Poor Fellow-Soldiers of Christ and of the Temple of Solomon」(キリストとソロモン神殿の哀れな戦友たち)というのをご存知でしたか? どうやらテンプル騎士団の理念そのものに、ソロモン神殿が関わっているとみて間違いなさそうですね。つまり古代イスラエルとのつながりの中にシンクレアの活動がある、ということです。

華麗なる歴史に彩られたシンクレア家ですが、巷ではまことしやかに「聖杯の一族」とも囁かれています。なぜでしょうか? ここでまた『ダ・ヴィンチ・コード』のテーマに戻って来ました。

映画ではイエスとマリアの血脈がシオン修道会という秘密結社に守られながら存続し、現代の血筋がフランス人のソフィー・ヌヴーだ・・・というストーリーでした。このシオン修道会を影からサポートする存在がテンプル騎士団だった、という設定です。

実はマグダラのマリアは、イエス磔刑の後、迫害を逃れるため南仏に亡命したと言われています。これは物語の中のフィクションではなく、後世の研究でかなりわかってきていることだそうで、南仏マルセイユから車で1時間ほどの場所にあるラ・サント・ボームという山塊にある洞窟が、マリアがしばらく住んでいた場所だと言われています。

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ところでみなさんは、マグダラのマリアについてどんなイメージを持たれていますか? 聖女? それとも娼婦?  長年、娼婦のイメージで語られることが多かったマグダラのマリアですが、実は聖書にはそのような記述はないそうです。無名で登場する「罪の女」を、6世紀頃のローマ教皇グレゴリウス1世がマグダラのマリアと同一視したことから始まった誤解なのだとか。バチカンもパウロ6世の時代、1969年に正式にマグダラのマリアは娼婦ではなかったと訂正しています。実際マグダラのマリアを娼婦と見なした歴史もなく、ずっと聖女として信仰している教派もあるんですよね。どうしてこのような誤解や違いが生まれたのでしょうか? カソリック教会の陰謀!? いやはや、どうなのでしょうね ^^;

幾種類もある聖書を注意深く読んだ人々によると、イエスとマリアが夫婦だったことがわかる記述がいくつか見つかるそうです。イエスも人の子。妙齢になれば妻がいてもおかしくないイスラエルの文化ではあったのですが・・・イエスを神の子としてピュアな存在にしておきたかったカトリック教会としては、イエスの妻帯はいかんということで一計を図った・・・なんて。仮説ですけれど。

面白いなと思ったのは、ロスリン礼拝堂の公式ウェブサイトを見ると、やたらと『ダ・ヴィンチ・コード』への言及や紹介文があることです。もちろん用心深く「それはフィクションですが・・」と書いてはありますが、もしも史実と異なり迷惑な話だと思ったら、いくら経済効果があったとしても、私がシンクレア伯ならここまで繰り返し載せませんね。しかもロスリン礼拝堂は19世紀半ばまでローマ・カソリックの教会でした。そしてシンクレア家は今でもローマ・カソリックを信仰しているそうです。つまり『ダ・ヴィンチ・コード』で展開されているような歴史的解釈には与しない立場であるはずなんですが・・・当代のシンクレア伯はかなり柔軟な方のようです ^^

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映画には「ローズ・ライン」と言う言葉が出てくるのですが・・果たして・・・

聖杯に話を戻します。

シンクレア家が「聖杯の一族」であるかどうかは読者の皆さんの解釈にお任せするとして・・・

私自身は聖杯そのものが、女性性を表すのではないか、という解釈には、とても惹かれます。ダビデの星、と呼ばれている六芒星はユダヤのシンボルであり、古代イスラエルのシンボルです。六芒星は上向きの三角形と、下向きの三角形の組み合わせですよね。映画で説明されているように、この上下の三角形を剣(男性)と杯(女性)とみなすことは面白い解釈だと思います。

男性が剣で、女性が杯(子宮)。これってまさに・・・人類の歴史を表してませんか? この記事で綴ってきたシンクレア家の歴史を見るだけでも、まさに戦いの連続です。ヴァイキングの略奪、十字軍、テンプル騎士団、国境をめぐる争い・・・何かにつけ剣を合わせたがる、それが男性の本質なのでしょうか? 女性は子供を産む性として、男性のあるがままを受け入れ、家族を育む・・・随分と異なる役割のように見えますが、二つのシンボルは、固く結び合わさっているように見えます。どちらが欠けてもダメなのだというふうに。

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映画ではロスリン礼拝堂にマグダラのマリアの棺があるとされていますが・・・さて。

インターネットが普及してから、世の中が随分と変わりました。これまで隠せていたことが隠し通せなくなったり、隠していても、すぐに真実が明るみに出てしまったり。新たな視点もたくさん生まれています。自分にも他人にも、嘘をつけない時代になっているのではないでしょうか。

例えば・・・聖杯伝説の元になっているアーサー王伝説でも、イエスとマリアのケースのように、大きな真実が隠されているように感じて仕方ありません。

アーサー王は、そのすぐれた英知と人格でブリテンを統治したケルトの王様です。王たるべく生を受け、超常的な助けをも自らの実力として取り込み、臣下に絶大な信頼を寄せ、偉大なる王国を作り上げました。いわば人の機微のようなものがよくわかっていた、人間関係の達人だと思うのです。そのアーサー王が、ランスロットと王妃グィネヴィアの不倫に気づかぬはずなかろう〜というのが、私の言いたいことというか、ツッコミです(笑)。そもそも、より古い伝説になればなるほど、ランスロットなんか出てきません。彼が登場するのは恋愛好きのフランス人がアーサー王伝説を下敷きにして新たに物語を書き始めて以来です。

アーサー王伝説には、治世者とはどうあるべきかと言うお手本のようなものが書かれているはずで、王国の土台である王と王妃の関係は、すこぶる良かったのではないかというのが私の仮説です。王妃が騎士と密通していると言う筋書きにして流布されていると言うのは・・・情けないというかなんというか・・・。アーサー王物語で最もしっくりこない部分ではあります。男性をダメにするのはいつも女性だということを暗に伝えたかったのでしょうか? ^^; (婚外恋愛が悪いと言っているわけではなく、アーサー王物語において、違和感があるということです)もしも歴史に歪みがあるのだとしたら、今こそそれを、あるべき形に戻していくときなのではないか、そう感じる新年なのであります。

ロスリン礼拝堂探訪から、遠く話題がそれてしまいました。

願わくば、聖杯としての女性が、もっと元気に本領を発揮できる2019年になると良いなと思います ^^  なにせ世の中には男と女しかいないんです。女性は疲れた男性にたっぷりと愛を注ぎ、そして女性もしっかりと愛を注いでもらえる、バランスのとれた世の中になることを願って♪   その先に、真に平和な世界が見えてきます。

2019年が皆様にとって、素晴らしい一年となりますように!

PS
そういえば、ロスリン礼拝堂には猫がいるんです。私は知らずに訪れたのですが、礼拝堂の中の椅子に座っていると、猫を見かけたので驚いて「こっちへおいで!」と手招きしたら、するる〜とやってきて、膝の上にちょこんと乗ってきたんです(笑)。ちょうどスタッフの方によるツアーが始まった頃だったので、猫を膝に乗せて撫でながら話を聞き、聞き終わってもすっかり落ち着いて全く降りる気配がないのでw  どうしたものかと思っていると・・・向こうからスタッフの女性が私のところへやってきて「その猫の名前はね、ウィリアムと言うの。人の膝の上にはほとんど乗らない猫だから、あなたよほど気に入られたのね」と笑顔でわざわざ言いにきてくださったのです。なんだか嬉しくなってウィリアムに挨拶をし、もう行きなさいと言うと、すっと立って行ってしまいました。なんて、ちょっとした猫自慢ですがw ショップにウィリアムを縫い入れた布のブローチがあったので、買って帰りました ^^

Rosslyn Chapel
◆住所:Chapel Loan, Roslin, Midlothian EH25 9PU
◆エジンバラ中心から「Penicuik/ Deanburn」行き37番バスに乗り、「Princes Street」または「North Bridge」下車。所要約45分。バス停から徒歩数分。
◆詳細はこちらで:www.rosslynchapel.org.uk

ショップとカフェも併設

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About Author

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岡山県倉敷市出身。ロンドンを拠点に活動するライター、編集者。東京の文芸系出版社勤務、雑誌編集・ライターを経て、1998年渡英。英系制作会社にて数多くの日本語プロジェクトに関わった後、2009年からフリーランス、各種媒体に寄稿中。2014年にイギリス情報サイト「あぶそる~とロンドン」を立ち上げ、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活、人間の可能性について模索中。著書に『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房) 『ロンドンでしたい100のこと』『イギリスの飾らないのに豊かな暮らし 365日』『コッツウォルズ』(自由国民社)。NHK文化センター名古屋教室「江國まゆのイギリス便り」講師。MUSIC BIRDのラジオ番組「ガウラジ」に月一でゲスト出演。チャネリングをベースとしたヒーラー「エウリーナ」としても活動中(保江邦夫氏との共著『シリウス宇宙連合アシュター司令官 vs.保江邦夫緊急指令対談』もある)。Instagram: @ekumayu

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4件のコメント

  1. アバター画像

    浩二さま

    嬉しいコメントをありがとうございます! 朝から気づきをいただきこちらこそ感謝します!
    今日はこれからNHK文化センターのイギリス講座の日で、イギリスを走るレイラインについてお話ししようと思っています。そして今朝コメントをいただき、久しぶりに自分が書いたものを読み返しました。歴史をどう観るか。現代では知り得ないことを、自分自身と照らし合わせて照合していく愉しみは何者にも代えがたいですよね。結局は、何を観たいかに尽きると思います。
    「ローズライン」かぁ。その手があった!と、これからもう少しその線を調べてみようかと思います^^
    ありがとうございます!

  2. 内濱 浩二 on

    人生のなかで30代を努力の時代、そして40代を忍耐の時代と称される男としての繁忙期に世界を旅する機会を得ました。そんな中にヨーロッパ(イタリア)に食の極みに触れたい興味でふと気付かされたのが、聖書の歴史知らずして訪れても理解不能と聖書を学ぶきっかけとなりました。
    そんな興味から「神々の指紋」「タリズマン」「ダビンチコード」「イエスの血族」等を読み、これまでの歴史観•世界観がぶっ飛びました。
    以来、日本の歴史、とりわけ古代史に触れるに至っています。
    確かにどこまでが史実(真実)かはわからないかも知れませんが、そこにロマンが見い出されることの喜びもあります。
    ダビンチコードのシリーズの映画は何度も観ましたが、映画の主人公であるラングレン博士が言う、結局のところ「人は誰を守り、誰(何)を信じるか⁉️」この言葉を置き換えて問うてみよ!と胸に刻みました。
    ガーデニングのイギリス、モネの舞台であるフランス、ノルマンディーの地。あなた様の記述に大変感化され是非とも訪れてみたいという想いが湧き起こってまいりました。
    また、紹介されている著書にも巡り会いたいと思います。
    新たな気づきを揺り起こさせてくれましたことに感謝申し上げます。

    2023/7/29 Koji. Uchihama

  3. アバター画像

    良枝さま
    嬉しいコメントをありがとうございます! 
    シティの教会に行かれたのですね ^^ ホッとする空間ですよね。きっとオフィスで働いている人たちも
    無意識のうちに引き寄せられているのかも ^^

    イギリス旅行、楽しまれたようでよかったです♪ すごい、バースやウィンチェスターにも行かれたんですね! イギリスの魅力は田舎なしに語れないので、素晴らしい旅だったようで私も嬉しくなりました。しかもサッカー観戦まで! なかなかバラエティをカバーできないのですが、これからも情報発信していきますので、どうぞよろしくお願いいたします! スコットランドもぜひ、次回は行かれてみてください。あそこは本当に素晴らしい場所です ^^

  4. こんにちは、とても興味深いお話!スコットランドにも行ってみたくなりました、昨年11月末にロンドンに行ってまいりました。何度行っても飽きないのは何故か?
    11月コメント欄に 紹介されていた教会に行きたい と書いた者です。
    行ってきました!!素敵でした!
    昼時を過ぎていましたがスーツ姿の方達がたくさん!(持ち込み多し?)ラストのスコーンを戴きました!
    短い旅でしたが、ウエンブリーでトッテナムVSチェルシー、バス旅でウインチェスター、バース、美術館にアンティークマーケット巡りなど、、。

    これからも あぶそる~と 楽しみに拝見させて頂きますm(_ _)m
    参考にさせて頂き 脚がいう事を聴く限り、訪英いたします!

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