「存在の完璧さ」池川明先生インタビュー by 木村章鼓【2】

0

th_DrIkekawa2


ドゥーラである木村章鼓さんによる産科医池川明先生へのインタビュー記事の後半です。

********************

木村章鼓さん:池川先生のお話を伺って私が思い出すのは、あるお母さんが目に涙をためて搾り出した話です。その方は「たしかに私のお産は、いわゆる難産だったと思います。でも『大変なお産だったねえ』と言われる度にすごく傷つくんです。私自身はとってもいいお産だったと思っているので、なぜみんな「難産」のひとことで片付けてしまうんだろうと悔しくって」と憤慨されていました。

医療従事者にしてみれば、お産の評価は義務かと思います。いくつものチェック項目があり、それを満たしていないお産は自動的に難産として扱いますよね。母子手帳には点数表もある。でも彼女のように、子どもが少し大きくなって予防接種に行くたび、病院にかかる度、それらのデータを見た医師や看護師が「難産で大変でしたね」と告げるわけです。彼女にとっての「私のお産」は、いつのまにか「難産」として定着していくんですね。本人の気持ちは置き去りにされたまま・・・産後何年経っても、まるで烙印を押されたような苦しさを抱き、子育てを続けているという彼女が本当に気の毒でした。

一方、知人のKさんは、ブレスワークを用いて自分自身の出生時を体験し直すと、母親とKさんの意識が完全に同調しているのをハッキリ感じたと言います。具体的には、Kさんの母親が不安に感じているのが陣痛中、胎児であるKさんにひしひしと伝わってきたそうなんです。母親の精神状態がダイレクトに胎児へ伝わる可能性があるのなら、もし母親側の気持ちが安定していれば、お腹の赤ちゃんの気持ちも安定すると解釈することもできますよね。

母子間の感情の波が相互作用であるなら、赤ちゃん側の気持ちが安定していれば、逆に母親の気持ちも安定することになりますよね。つまり、池川先生が語られたように、赤ちゃんに対して「これから吸引かけようか?」と本人の意思を聞き、尊重することで、赤ちゃん本人が納得して出てこられるのなら、それは同時に、意識の同調し合っている母親もお産に対して母親なりの納得感が得られるという結果につながっていくということかな、と。

池川明先生:そうですよ。だって、お産は気づきの連続ですよね。魂のレベルを上げるのに非常にいいチャンス。でもチャンスはチャンスなんです。訪れるものだから、ものにしても、ものにしなくてもいいんです。チャンスがあっても気がつかない人がいる一方で、逃した!と思った人にも2度目、3度目のチャンスはやってくるでしょうし。それでもダメだったら来世がある、と。そんな感じの無理のない構え方でいいのではないでしょうか。その人にとってどういう気づきがどういう状況で起きるか、要はそれをどのように受け止められるか。感じ方の問題なんですよね。だから感性を高めておくというのがとても大切な気がします。

「いいお産だった!」と本人が納得して子育てをスタートしているのに、足をひっぱる人はいつの時代でもどこでもいっぱいいるんです。おばあちゃまとか、よくいらっしゃいますよ。ああでもない、こうでもないと横から口を差し挟んできては新米母を不安な気持ちにさせる人って。でもせっかくのチャンスで、赤ちゃんが気づきをもって生まれてきてくれるのに、もったいないですよね。だから、産前、出産、産後と、僕のような医療者やドゥーラも含めてまわりにできることは、とにかくお母さんと赤ちゃんの足をひっぱらずに、母親を自由な気持ちにさせてあげる。本当にそれだけですね。

そうそうお父さんも、立会い出産によって、というか、意識をしっかりお産に向けることで目覚めている方がいますね。パートナーと息を合わせて、手を握り腰をさすりで共に乗り越えたような男性は、無事生まれると「ああスッキリした!」とか言うんです。お父さんも完全に一緒になっていきんでいるんですね。今の時代だから、男性にもこういう体験は必要不可欠だと思うんです。昔は女の人同士のコミュニケーションが今よりもできていたと思います。どのような個人の体験も女性同士で分かち合う時空間があった。地域社会がしっかりしていた頃は、男はそんなに関わらなくてもよかったのだと想像します。

でも今は都市化、核家族化、高齢化で、産む女性を支えるのはパートナーだけというようなケースが残念ながら格段に増えている。だから、お父さんにも同じ体験をしてもらわなきゃいけないということで、私は立会い出産を勧めてきているんですけど、大切なのは立ち会いの仕方ですね。お産を見るだけ、という見学者に徹してしまうパートナーは多いんですけど、見学者ではダメなんですね。お産でパートナーの体験をしているステージに自分も飛び込んでいく、というか、深く入り込んでいってもらわないとダメだなと感じます。もしそういう深いレベルで関わったパートナーの方々に産後アンケートをとってみれば、男性であっても、恍惚体験というか、神秘体験をしたという方はけっこういるんじゃないかなと思いますよ。

木村さん:産前から心身ともに準備をしていたり、ダイナミックな心の変容を前向きに待ち望んでいたという方ばかりではなく、普段はなんの意識もしていないような方にも、池川先生がよくおっしゃる「魂のレベルアップ」とでもいうべき心の気づきがあるのでしょうか?

池川先生:あります。よく「ここ(池川クリニック)で産みたい」といらっしゃる方がいますが、そういう方には「うちでなくともいいお産はできますよ」とお答えするんです。自然出産をすることに目標をおいてしまう方々は、あまりにそのことにこだわってしまうがゆえに、その次の目標を見失ってしまうことがある。私は無意識のうちにそういう神秘的な体験は与えられるのだと思います。期待したからといって手にできる領域の話ではないということでしょう。

本来、いいお産をする目的というのは、いい体験を通して、いい子育てをするというところではないでしょうか。それが、自然出産こそが最終ゴールみたいになってしまうと、できるできないで良い悪いになってしまう。できなくても、みんな「いいお産」なんです。同じように、魂のレベルを上げてくれるような神秘的な体験がたとえなくても、いいお産なんです。逆に神秘体験をしてしまったがゆえに「私はオカシイのかしら?」と思っている方もいる。木村さんのように「そうではないよ、オカシクなんかないよ」と感じていらっしゃる方は、これからそのことを伝える役割があるでしょうし。お産は本当に千差万別、何があってもいいのだと思います。まず人は、自分の存在を受け入れないといけないんだと思います。多くの人は、自分を否定して長年生きてきている。

これは時代のせいもあると思うんですよ。今、お産も子育てもとことん落ちるところまで落ちてしまった時代なので、産科医、助産師、看護師のなかから、変えていこうという動きが出てきてはいます。現代人は目に見えるものを信じるようにトレーニングされているんですね。特に学校教育がそうです。〇〇できたかな?という成果主義ですから。私たちはそういう教育を受けてきているから、教科書以外のもの、自然や人から学びましょうということは苦手なんです。友達をつくるとか、友達から情報だけでなく、生きる上での知恵も得ていくことが減ってきている。自然と対話して生活を営んでいた農家の方々も今は少なくなってきています。彼らは言葉が交わせなくても確かに植物と意識を交流させていたのだと思います。

極端な話、死産ですが、あれは赤ちゃんが選択して、死産する母親の胎内にやってくるのだと私は産科医として思います。お母さんのお腹に入った時、赤ちゃんはとっても嬉しいんですね。成長して、そしてある時まで大きくなって、それであちらの世界へと満足して還っていく。でも残されたほうはたまったものではありませんよね。悲しくて辛くてもうどうしようもなくなります。

これを目に見える世界の話だけで片付けようとすると、なぜだ?どうしてだ?ということにしかならない。元気に生まれてくるのが当たり前のゴールになっているとそうですね。ところが赤ちゃんにはひとつ大きな目的があってこの世にやってくる。それは、親の魂を成長させるという目的です。親というのは母親だけでなく、両親です。もし赤ちゃんが死ぬことによって、親が成長するならば、赤ちゃんが死んだことにも意味があるわけです。

赤ちゃんが命をかけてせっかくチャンスをくれたのですから、そこで残された者が成長できないと、赤ちゃんは無駄死にだったかなって思ってしまうのではという気もするんです。その時すぐにはそう思えないのは人として当然でしょう。でも、後になって、一生を振り返って、親がそう思えるか、思えないか。実際、思える人はとても少ないですが。

でも確実に、世の中の事象はすべて自分にとって必要があって起きていると思います。例えば「赤ちゃんはまだ?」と聞かれたら、欲しくてたまらないのにできない女性は「なんて無神経な人!」と憤慨するかもしれません。でも、念願の赤ちゃんをお腹に宿した女性が「赤ちゃんはまだ?」と聞かれたら「実は妊娠しているんです、〇月に出産予定なんです!」と喜んで答えると思うんです。言っている人もまわりの状況もまったく同じ。違っているのは自分の気持ちだけ。すべての事象は自分の気持ちで判断している。

だから、何かを誰かを嫌!と感じている時、その対象そのものが嫌なのではなくて、自分が嫌だと思う気持ちをその対象に投影しているにすぎないんです。そのことを考えると、自分の身に起きることを、常に他人のせいにばかりしていると、いつまでたっても魂のレベルを上げるような気づきは起きてこないと思います。人生に起きることに関して、他人が全部影響を与えていると考えるわけですから、けっこう辛いですよね。ナ二それじゃあ自分の人生は自分では作り出せないの?自分の人生は他人によってすべて左右されてしまうものなの?ということになる。

「望んだお産ができなかったのは、あれが悪かったから、これが悪かったから」と外側にばかり理由を求めているといつまでたっても自分の出来事として取り込めません。お産も、「お産を通して私に心の成長をもたらすためにこういうお産になったんだ」と自分の出来事として丸ごと取り込んでいくと、そこで魂は磨かれていくと思うんです。

退行催眠という療法は必ずしもすべての人に適しているとは言えないのですが、なかにはなるほどなぁと思わされることがあります。退行催眠によって、亡くなった方とつながるケースもあるのですが、そのなかで、早くに死んでしまった親に対して『なぜそんなに早く死んでしまったの?』と強く思っていた方がいました。その方に与えられた答えは、『お前が親に頼ってばかりで、これでは成長できないと思って、早くに死んだんだよ』というものでした。

死というものは単純なものではなく、もっと深いものなんだと思うんです。本人ですら死ぬ瞬間には魂の持って生まれた本来の目的に気づかないまま亡くなっていく。でも確かに理想の時、最適な状況で亡くなったのだ、と分かるのだと思います。その死にはなんの目的があったのかが分かるようになってくるんです。こういったものはすべてピースなんですね。ジグソーパズルのひとかけらなんです。一つずつだと分からない。でも多くの気づきが集まっていった時、形めいたものが見えてくる。ある方向性というか、法則のようなものが感じられてくる。そういうものだと思います。

ひとつずつのお産をみていくと、ほんとうにそういうことが感じられるようになってくる。産科医としてそういうことを日々感じながらお産に触れていくと、簡単に帝王切開とか、促進剤は使えませんよ。その子の人生に介入することになるわけですから。医療介入って、子どもの人生に、お母さんの人生に、介入していくことなんですよ。そう考えると怖くて段々何にもできなくなってきます。きつい性格で生まれてくるはずのお子さんが医療介入によって、ものすごく優しい性格の子に生まれてきてしまった。本来、きつい性格じゃないと成し遂げられない魂の宿題をもってこの世に産まれてきた子かもしれないのに、なんてこともあるんです。

木村さん:ここまで池川先生のお話を伺ってきて、「お産」とはある一点を指すのではなく、継続的な内省観察とも呼べることが分かってきました。人生のある時期、魂の曇りを取る作業というか。お産によって、その後の子育てによって、自分のことを肯定的に受け入れられるトレーニングを私たちはしているらしいと思うと、気持ちが楽になってきます。

池川先生:そうですね。胎児に記憶なんかあるわけない、という人には、私のやっているような胎内記憶の研究はなんの意味もないんですが、「胎内記憶があるのではないか」と仮定することで、どんどん広がっていく何かがあるんです。お腹の子と意識を合わせられる、いや、合わせようとするだけで、妊娠中からお腹の赤ちゃんが多くのことを伝えてきてくれる。普通の状態では感じられないくらいの微妙な感じですが、その赤ちゃんからのメッセージをキャッチできる気持ちにお母さんがなっていると、お産もいいお産になるだろうし、その後の育児が多少でもラクになっていくと実感しているんです。少なくともうちで産んだ方で幼児虐待するような方はいないと思っています。

日本のお産も、2割が変われば加速度的にいい方向に流れていくと思います。EM菌を開発された比嘉照夫教授がおっしゃっていて、私はこれを262の法則と呼んでいるんですが、人間誰しも2割いい菌を持っています。6割はどちらにでもつく菌。残りの2割があまりよくない菌だったとすると、いいお産が2割以上だと、どっちでもいい6割をひきつけていくでしょう。そうなることを目指しています。

本来の自分を取り戻す。宇宙と繋がるととっても気持ちいいんだと、よく産後のお母さんから聞きます。宇宙的意識と繋がっていくことで、彼女たちにとって、もともと目的をもって生まれてきたことを思い出すような経験になるんでしょうね。そのままで完璧だよって。もともとの自分という存在の完璧さを思い出すんでしょうね。

完璧であるとはいえ、人間、生まれてきた以上、その人なりの目的をもってきているから、その目的を達成するために、本来の完璧さを少し歪めて存在しているんでしょうね。だって完璧なら、人間界にくる必要もないでしょうし、天の上では成長できませんから。一人目が人生の気づきの振幅の幅が最も大きいと思うんです。いかに一人目でいい体験にもっていけるか、それはすごく大きなことです。もちろん一人目で気づけなくても、二人目三人目で敗者復活戦はちゃんとあるんです。

とても不思議なことですが、帝王切開したらどうするの?って思っている場合はやっぱり帝王切開になるんですよ。難産かも?って思っている場合もやっぱり難産になりやすいですね。気持ちが事象を引き起こしていきます。一般的に安産と呼ばれるようなお産だった方で、自分は難産になると思っていたお母さんはとても少ない。逆に、自分は絶対に難産だと思っていて、実際には安産だった場合、こころから喜べる例も少ない。きっとそういうお母さんは、自分は難産に違いないと思っていたら安産で、『ああよかった!』というような安堵の気持ちばかりが強いんでしょうね。本来、もっとたくさんの気づきをもらえる予定だったのに、そのうちのひとつしか受取れなかったというような感じがすることはありますね。

振りかえると、以前の僕自身が医師としてそうでしたから。無事に生まれますようにと、そればかりが不安で、いつも心配で・・・。無事に生まれてきても一緒にお母さんと喜ぶことができないんです。ところが、「大丈夫。この子は自分の力で出てこられる」と心から信じられるようになってからですね。分娩されたばかりのお母さんや御家族と一緒になって、「うわーよく出てきたねっ!!!」と本当に心の底から喜べるようになりました。産婦人科医として、これはとてつもなく大きな変化です。

【インタビューを終えて】
今回の先生のお話から、お産というものに対する見方が大きく広がりました。医学的にどのようにカテゴリー分けされようと、産む本人の感じ方次第で、深い充足感、納得感、気づきを得られるというのは、私自身が多くのお母さん方の体験談から感じ取ってきたものです。私たち女性が、「安産」や「自然」という言葉だけにとらわれずに、お産体験を「たましいの資源」として豊かに生きていく時代の到来を感じます。産婦人科として現場で活躍されている方から興味深いお話を伺うことができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 有難うございました!

Share.

About Author

江國 まゆ

岡山県倉敷市出身。ロンドンを拠点に活動するライター、編集者。東京の文芸系出版社勤務、雑誌編集・ライターを経て、1998年渡英。英系広告代理店にて各種媒体の翻訳ローカライズや日本語コピーライティングを担当。日本語翻訳リライトのスペシャリスト。2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にAbsolute Londonを立ち上げ、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活、人間の可能性について模索中。

コメントを残す