「ゴヤの名画と優しい泥棒」シェイクスピアはチェーホフと握手するか?

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結局のところ人は「幸福とは何か?」というとてつもなく普遍的な命題を、日々いろんな形で追求している生き物なんだなぁと、そんなことを改めて感じさせられた映画を見た。

今、いろいろなプラットフォームで話題をさらっているイギリス映画「ゴヤの名画と優しい泥棒だ。

1960年代前半のイギリスで実際に起こった事件をベースにした、心温まるヒューマン・ドラマ。あらゆる意味でブリティッシュネス炸裂 w  せっかくなので自分なりのレビューをしてみたいと思う。もちろんネタバレなし。安心してお読みいただきたい。

1961年に「実際に起きた出来事」というのはこうだ。

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ロンドンのナショナル・ギャラリーから、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれた。

犯人の見当がつかず政府も警察も翻弄されるのだが、犯人は強盗のプロでも国際的な犯罪組織でもなく、年金生活をする一般イギリス人男性だった。

その男の名はケンプトン・バントン。タクシー運転手としてイングランド北部ニューカッスルで生計を立ててきた労働者階級の男であり、弱者に対して強いシンパシーを抱く社会活動家でもあった。BBCが年金暮らしの高齢者に対しても一様に受信料を強制徴収していることに対して、強く異議申し立てをするケンプトン。テレビが娯楽の大きな部分を占めていた当時、老人にとっては友達みたいなものだったのだろう。

受信できなければ払う必要もなかろうと、BBC受信用のコイルをテレビから外してまで払いたくないという姿勢をとる(笑)、どこか親近感を抱いてしまう彼なのだが、長年連れ添ったごく常識人の妻は、夫の変人ぶりに心労を募らせる。そして夫婦には、3人の子どものうちの一人を事故で亡くした辛い過去があり……。

絵画「ウェリントン公爵」の価値は当時で14万ポンド(約2000万円強=現在の約45億円)。公爵の身柄を拘束して身代金をとり、高齢者たちのBBC受信料を肩代わりしようと企てるケンプトンだが……。

© PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020

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全編を通してコメディ仕立てで、どこか三谷幸喜さんの作風を思わせる軽快さとヒューマニティにあふれている。

傲慢な社会システムに対してドン・キホーテのように自らを信じ一身立ち向かっていくケンプトンに、誰もが共鳴できる脚本。自らの狂気に足をすくわれたドン・キホーテと異なり、ケンプトンは公衆を味方につけ、社会システムに飄々と風穴を開けてみせた。最終的に誰もが幸せな気持ちになってしまう結末もちゃっかりと用意されている。

作中には全編を通して、様々な対比メタファーが盛り込まれている。

ウェリントン公爵  vs  名もない労働者階級の男
議員夫人  vs  お手伝いのおばさん
シェイクスピア vs  チェーホフ
スター弁護士  vs  義賊の泥棒
華やかな首都 vs 質素な地方都市
etc….

これらは対立しているようで、実は本作品では強い親和を見せている。だからこそこの映画はことのほか輝き、多くの人の心を捉えているのではないだろうか。

最も表層的なテーマは、封建時代から続いている階級社会への率直な疑問だ。

ナポレオン戦争の英雄、ウェリントン公爵はもちろん上流社会の象徴であり、貴族階級を代表する存在。一方、ニューカッスルに暮らすバントン一家は名もない一般庶民で日々を暮らしていくのに精一杯。職があるだけで有難いという社会の底辺を代表する存在であり、ケンプトンの妻ドロシーは、中産階級に属する議員一家のお手伝いとして働いている。

ケンプトンがやったことは、ドストエフスキーがその偏狭なイデオロギーから生み出した貧乏学生ラスコーリニコフがやったことと、本質的には同じ。ただ人殺しをする代わりに、泥棒義賊として社会を救おうとした。

しかし時代は19世紀末の帝政ロシアではなく、20世紀半ばマクミラン政権下のイギリスである。

アマチュアの劇作家でもあるケンプトンのお気に入りは、主に王侯貴族の確執を描いたシェイクスピアではなく、庶民の思いを叙情豊かに描いたチェーホフだというところも、かなりニクい(庶民派と言ってもゴーリキーではないところにケンプトンのロマン主義的な側面を垣間見ることができる)。

ケンプトンは自身が所属する階級から声をあげ続け、社会的な不公平さに対して抗議し続けた。そして、その詩的な人柄も手伝って強いシンパシーを得て、社会に対してインパクトを与える役割を見事に演じたのである。

ケンプトンと対立する階級の人たちはどう描かれているのか? ここは見どころの一つで、中産階級以上を代表する議員夫人はお手伝いのドロシーと彼女が所属する階級に対して非常に同情的だし、ケンプトンの弁護士(実在の人物)は、被告の人柄(あるいは主張)に惹かれてか、かなり人道的な論弁でもって裁判を有利に導いていく。(ロシア貴族の斜陽を描いたチェーホフの「桜の園」が効果的に挿入されているのもいい。)

というわけで「階級制度の軋轢」という表層的なテーマだけにとらわれていると、この作品の良さを見損なってしまうことになる。時代は変わる。そして、階級意識は薄れ、結局残っていくのは人間力と愛。その本質的な部分を描いた見事な作品だと思う。

作中に出てくるマハトマ・ガンジーというメタファーも個人的には面白いと思った。

人生を通して非暴力を訴えたガンジーは社会ヒーローのように扱われていて、私は若い頃に興味を持ってその伝記を読んだのだけど、一気に興ざめしたのは彼が決して家族愛に忠実ではなかったことが書かれていたから。その伝記はむしろ「聖者の家族が必ずしも幸せではない」ということを、20代の私に教えてくれた。

ケンプトンは自由な魂の持ち主で、全てに対して緩く開かれているが、愛する妻が自分のイデオロギーから置き去りにされていること、そして愛娘の死という現実との折り合いをつけられずにいることが、もう一つの大切なテーマとして描かれている。

© PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020

人の幸福の基盤は、間違いなく家庭にある。幸福の最少単位が、家庭なのだ。その先にあるのが、社会存在としての人の幸福。つまり家庭の幸せに揺らぎがあると人はなかなか幸福感を得られないもので、家庭を犠牲にする社会活動というのは、きっとどこかで齟齬が出てくる。

映画では最後にバントン一家にまつわるどんでん返しがあるのだが、そこに大きな魅力が隠されているので、ぜひともお見逃しなきよう。この実話をロビンフッドの物語として読むか、家族愛の物語として読むか。それはあなた次第だ。

最後に強調したいのは、この作品が実話としてのミラクルを描いているということ。

「ゴヤの名画と優しい泥棒」は自由奔放に生きる、ボーダーのない一人の男の物語だ。信念を貫き、時に社会システムにさえ影響を与えてしまうほどの強く自由な魂。名もなき一個人に、何ができるのか。2022年の現代社会における救いもそこに見出せる。

本作は残念ながらロジャー・ミッシェル監督(「ノッティング・ヒルの恋人」は代表作の一つ)の遺作となった。

監督はケンプトンに関してこう言っている。私自身も同意見だ。

「我々はどの時代にもケンプトン・バントンが必要だ。常に権力に立ち向かい、全てに疑問を投げかける人間がね」

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「ゴヤの名画と優しい泥棒」

公式ウェブサイト:
https://happinet-phantom.com/goya-movie/

予告編はこちら:
https://happinet-phantom.com/goya-movie/

お近くの映画館でぜひ! 心温まるうえに、勇気をもらえる本当に素敵な作品です^^

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About Author

岡山県倉敷市出身。ロンドンを拠点に活動するライター、編集者。東京の文芸系出版社勤務、雑誌編集・ライターを経て、1998年渡英。英系広告代理店にて数多くの日本語プロジェクトに関わった後、2009年からフリーランス、各種媒体に寄稿中。2014年にイギリス情報サイト「あぶそる~とロンドン / Absolute London」を立ち上げ、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、脱プラスチック、自然療法への意識喚起活動を行うなど、オルタナティブな生活、人間の可能性について模索中。著書に『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房) 『ロンドンでしたい100のこと』『イギリスの飾らないのに豊かな暮らし 365日』(自由国民社)。チャネリングをベースとしたヒーラー「エウリーナ」としても活動中。Instagram: @ekumayu

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