ナイツブリッジ駅前に燦然とそびえるマンダリン・オリエンタル。ホテル内に擁している数々の話題店でロンドナーたちを楽しませてくれている。今日は昨年訪問して以来、私も大ファンになった和食居酒屋「The Aubrey オーブリー」についての話題をお届けしたい。
オーブリーでは私がお邪魔した去年からメニューが一新され、鮮魚の美味しさをたっぷり堪能できる皿が増え、さらにボリューミーかつ満足感のあるホットフードも加わった。先日8名程度のグループで食事をすることがあり、前回羨望の思いを抱いた個室を使えて嬉しかったのだが、新メニューを含め新たな驚きもあったのだ。
今季メニューは、変わり刺身や鮮魚サラダが大充実。温かいお料理には3〜4名で分けたい仔牛のカツレツのほか、豆腐ソースでいただく季節のトマト、カリフラワーのスパイシー揚げ(奪い合いになったw)、マッシュルームのチャーハンなどが加わり、ベジタリアンやヴィーガンに優しいメニューも順調に増えている。
そして締めはもちろん、お寿司♡ 今回改めてここのお寿司をいただき、やはり日本人の寿司シェフが統括するお寿司は違う! と思ってしまった次第。その感動をシェアさせていただきたい。
The Aubreyの寿司部門を統括するのは、英国で唯一の女性の寿司マスター、佐藤美穂さんだ。
日本には約 3万軒を超える寿司店があるとの統計だが、女性の「寿司職人」人口はわずか 10パーセント未満。ロンドンで活躍する女性寿司職人はさらに少なくなるが、佐藤美穂さんが決定的に他のロンドン在住の日本人女性寿司職人さんたちと異なるのは、彼女が日本の学校で学び、日本で板前になった純日本シェフであることでだ。そして料理長レベルのポジションに就いて長い年月が経ち、現在は部門統括と後進の育成に力を入れている。佐藤美穂が「英国で唯一の女性の寿司マスター」と言われる所以である。
美穂さんが子どもの頃ご実家がブティック・ホテルを営んでいたことからから料理への興味を培い、情熱を追って調理師学校へ入学、1997 年に卒業。日本食の板前として食のキャリアをスタートさせた。こと寿司に関していうと、職人と呼ばれるようになるには何年もの修業が必要であり、特に日本では10年は当たり前だ。そして日本でこの業界は完全なる男性優位社会。女性は技術を習得しても、なかなか大きな舞台で活躍することもままならないのは今も昔もさほど変わっていない。
その難関を突破するため、美穂さんは当時のメンターが「海外に出るほうがいい」とアドバイスしてくれたことを受けてドイツに渡った。現地でケルンにあった JFCグループの大手レストランに就職。寿司職人に抜擢され、約 4 年間にわたってキャリアを積んだそうだ。その後、新天地を求めてロンドンへ。
ロンドンで「Matsuri」や「Sushi Hana」「OBLIX at the Shard」など複数のレストラン厨房で働くなかで、わずか4年でヘッドシェフに! オーブリーの前に働いていたメイフェアにある有名プライベート・クラブ、Annabel’sでは初めて最高級食材を扱うことになった。この経験が現職への布石となる。
巻き寿司を盛りにしてもらうと、なんともゴージャスだ。ずわい蟹とパッションフルーツ、ハマチと海老の天ぷら、鮭のしそ天ぷら、アスパラ+アヴォ+ 黒にんにく風味、パン粉揚げの串揚げちらしなど、シェフのクリエイティビティがここぞとばかり発揮されている。芸術なのだ。
食事の後で、少しだけ美穂さんにお話を伺うことができた。「とても美味しかったです」と伝えると、にっこり笑顔で「大丈夫でしたか?」と言われた。お弟子さんたちが心を込めて作られているそうだ。
オーブリーでは北海道産の米と、吟醸酒粕で作った赤酢を使った江戸前鮨を提供している。今でこそロンドンは赤酢ブームでこだわりの店は赤酢シャリが大流行りだが、実は江戸前鮨では昔から赤酢が基本なのだそうだ。ただし巻物は赤酢とのバランスが悪いので、赤酢は握りのみ、巻物には通常の白酢を使うという使いわけをしている。そして酢は控えめにし、まろやかなシャリを目指す。「寿司が保存食だった時代は遠い昔のことで、今は全てがフレッシュな状態でいただけるでしょう? だから寿司もそれに合わせて変化しないといけません。」
握りは伝統の技術とネタをなるべく踏襲し、遊び心を発揮できる巻き寿司も「なるべくギトギトにならないよう」指導しているのだとか。揚げ物に頼りすぎると伝統から大きく離れてしまう。あくまで上品にバランスを保ち、旨味主導で、美しく。
ロンドンの最高級の厨房で指揮を執る今、美穂さんにはさらに重要な使命が浮上してきている。後進の育成だ。
「私が美しいと思う寿司を作ってもらいたいし、継承してもらいたい。そんな後輩たちが、今ここで育ってきています。私たちはカウンターでなく、ふだんは厨房内でお寿司を作っています。だから彼らには<お客様のお顔を想像しながら作りなさい>と教えるんです。
技術的なことはなんとか習得できても、寿司はメンタル面や心の問題もが大きく反映すると思っていますので、普段からなるべく彼らの話を聞き、様子がいつもと違う場合は声をかけるようにしています。そう言う意味でもこれまで教えてきた子たちは、みんな我が子のようなもの。だから私には、100人の子どもがいると思っています。皆に、成功してもらいたいですね。」
そう言う美穂さんは、お母さんの笑みをたたえている。もちろんこう付け加えることも忘れない。
「私が指導するのはやはり男性が多いですが、もちろん女性にも道は拓かれています! いつでも。」
さて、お寿司の後にいただいたデザートも、味、プレゼンテーションともに素晴らしく個性的で本当に美味しかった。写真はいれていないが、黒ごまのチーズケーキも絶品。オーブリーは寿司と同様、デザート・レベルも高い! お忘れずにオーダーしてほしい。
世界最高峰の5つ星ホテルのキッチンに、佐藤美穂さんの世代の女性シェフがヘッドで寿司部門を統括しているというのは、ある意味、奇跡なのかもしれないと思う。運命に導かれ、自ら道を拓いた佐藤美穂さんに拍手。美穂さんのような優れた女性の板前が、ますます活躍できる業界であってほしいと願うばかりだ。