第31話 プレゼントはどうしたらいい?(ミニマリズムQ&A)

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minimalist


Chapter 4.4
プレゼントや遺品はどうしたらいい?(ミニマリズムQ&A)


「人から頂いたプレゼントや遺品を捨てるって、ヒトとしてどうかと思う」片付け本などのブームに関して、こんな意見が出ることがあります。

相手が自分のために選んでくれたものや、家族から受け継いだものを処分するのはたしかに勇気がいるものです。どこかにやってしまうなんて、ましてや捨てるなんて、人でなしの冷血人間がやることじゃない…? その気持ち、分かります。

ここで、ミニマリズム・ウォッチャーとしての視点からこのトピックについて考えてみました。頂き物や引き継いだモノたちの山に悩んでいる方の、ヒントになればいいなと思います。

最初はプレゼントについてです。
プレゼントとは相手への好意や敬意、感謝を品物にして表したもの。「あなたのことを想っているよ」「おめでとう」「ありがとう」というしるしです。

もしプレゼントされたものが好みであればそれは最高に嬉しいこと。

でも、出会う人すべてと親友や恋人になることができないように、モノとの出会いにも合う・合わないがあります。出会っても時間が経てば離れていくこともあるし、最初からまったくそりが合わないこともある。

だからその品物が好みでなかったり、自分には必要ない・もう必要なくなったと感じるのであれば、気持ちだけありがたく受け取って、品物自体とはお別れしてもよいのではないでしょうか。

モノはモノ、気持ちは気持ち。

贈ってくれた相手も「好きじゃなくても、一生捨てずに持っていてね!」と要求しているのではないはず(それじゃあ呪いです)。

自分が誰かにプレゼントをした場合、後日「ねえ、私があげたプレゼントちゃんと使ってる?」としつこくチェックするということはあまりないはず。誰に何を贈ったかなんて、時間が経てばある程度忘れてしまうことも多いのではないでしょうか。だから、相手を気遣って処分することを恐れる必要はないと思います。

また、今後プレゼントという形で不要なモノを増やしたくないのであれば、先手を打って欲しい物や消耗品をリクエストしたり「いまのところ欲しいモノはないけど、この映画(展覧会・コンサート)に行きたいな」「おすすめのカフェでケーキおごってよ」と体験をプレゼントしてもらうのも一案です。品物をもらうより素敵な思い出になるかもしれませんよ。

そして大切なポイント。
「モノはいらない」ということを相手に伝えていても、プレゼントはやっぱり品物でなければサマにならないと思う人も多いのです。

つい忘れがちですが、相手にはプレゼントを選ぶ自由がある。
同様に、いただいたものは自分のもの。使うにしても処分するにしても、基本的に自分で決めてよいのです。

もちろん、例えばお婆さまが贈ってくれた手編みのセーターをサイズがうまく合わないので他の方に譲りたい、または着ないと思うけどしばらくは保管しておこう…と思うなら、着用した写真を撮って送るなどして「ありがとう!」の気持ちを伝えるのは大切なこと、そして礼儀だと思います。

そして、別れた恋人や家族からのプレゼントを処分できないと悩んでいる場合。
こういった品物は相手への思いが執着に変化して、その人の前進を阻む重荷になっている場合もあります。自分がそれを使ったり見ることで元気になるなら大切にして、そうでないならお別れを。
どうしても心残りなら写真を撮ってから処分すれば、見たくなった時に見返すこともできますね。

処分してしばらくした頃にふっと気持ちが軽くなったり、前に進もうという気持ちが湧いてきたり、新たな出会いがあるというケースはとても多いです。
これもモノを動かすことで人生が動くという典型的な例。

さて、遺品の場合はどうでしょうか。
亡くなられた方のものを処分するのはプレゼントと同様、もしくはそれ以上に気が引けるものです。でも「これだけは大切に持っていたいな」と思うもの以外、つまり罪悪感から処分することができず重荷に感じてしまうなら、やはり持たないことをおすすめしたい。

遺されたモノを引き継ぎ、どうしていいか分からないままホコリと虫喰いだらけにして次世代に丸投げするより、自分に順番が回ってきた時点で、いさぎよく対応したいもの。ただ持っていても仕方ない。

もしかしてお宝かも…と思うならそのまま放置せず、修復したり、専門家に鑑定してもらったり、地元の博物館に相談してみるなど行動してみましょう。

私も大切な人たちの遺品をいくつか持っています。それは自分の重荷にはならない、とても大切なものだけ。もしなくなってしまったらやっぱり残念だけど、だからといってその人たちとの思い出が消える訳ではないのですよね。

遺品にまつわるストーリーとして、こんなお話がありました。

エピソード1
親戚から家一軒まるごと分の遺品を受け継いだご夫婦。思い出の品は家に飾り、使い物にならない物は処分したものの、自分たちには不要でもまだ使える物の山をどうしてよいか分からない。
自宅に置くスペースもなく、結局トランクルームを借りてそこに保管することにしました。その中に古い車椅子があったのですがご夫婦はまだ若い。不思議に思って質問したところ「甥っ子が乗って遊べるかもしれないし、老後に使うかもしれないし」と取っておくことにしたそう。


しかし少し離れた倉庫に預けてあるので当然、彼がきても遊ぶことができない。ご夫婦に車椅子が必要になるのは数十年後。
それまでずっと保管してもらうんですか?と尋ねたところ「確かにこのトランクルーム代で将来、最新型の高級車椅子が買えるよね!」と爆笑。
古道具屋に持っていくか、施設に寄付するか、今必要な人に譲ろうか…と様々な選択肢を考えつつ、今は時間をかけ気持ちの整理をされている段階だそうです。

エピソード2
大往生した曾祖父の遺品を整理し始めた一家。
紙の山に手を付け始めたところ、彼が若い頃に興した事業に関わる貴重な手紙や写真などを大量に発見。歴史の教科書に出てくるような偉人たちや、海外の要人とも交流があったことが分かりました。

なにかの資料になるのではないかとあちこちに問い合わせた所、ある大学で近代史を研究している人と共同でリサーチをすることに。
家族の歴史と日本史がつながっていることを実感され、若き日の曾祖父のいきいきした姿を思い描くことができて、感動を覚えたそうです。

…どちらも身近にあった話なのですが、アクションを起こすことで発見や新しい出会いがあったという点で非常に興味深いエピソードだと思います。

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About Author

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写真家&ライター。東京で広告制作・編集と撮影の仕事を経て2003年渡英。フリーランスで活動中のアーティスト。ロンドンをベースにアーティストや作家をモデルにした絵画的なテイストを持つポートレート制作などを行う。英国をベースとしたエキシビションを開催。日常系ミニマリズム研究家。「あぶそる〜とロンドン」編集長、江國まゆ氏と共に2018年に『ロンドンでしたい100のこと(自由国民社)』(執筆&撮影)、そして2020年には『レス・イズ・モア 夢見るミニマリストでいこう。』を出版。

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