第34話 「損得勘定」をミニマイズ

0

minimalist


Chapter 5.3
「損得勘定」をミニマイズ

先日、英国人ミニマリストたちへのインタビューをしてきました。年齢も境遇もさまざまで新鮮。そして彼らにとってミニマリズムは単なる生活の一部という部分が共通しているなあという印象でした。

ミニマリストという人種に憧れたり、自分が思い描くイメージ通りのミニマリスト的生活をしようと葛藤している方も確かにいるのですが、多くの方にとってミニマリズムはツールでしかない。ミニマリストとして生きるのが目的ではなく、生活改善ややりたいことのためにミニマリズムを取り入れているだけなんですね。

ミニマリズムやミニマリストという言葉はかなり普及しましたが、最小限主義(者)と訳されることもあるせいか、いまだに「何にもない」「何でも捨てる」「冷たい・つまらない」といった誤解をされがち。本来は「大切な要素以外を取り払うことで、残した要素がより美しく際立つ」という考え方で、これをツールに人生をデザインしていくということ。

ツールだからどんな風に使って何を作るかは人それぞれ。
そういうことだったんですね〜。
近々、こちらでインタビューをいくつかご紹介していきます。

さて、今回は物質的な「モノ」を超えてミニマリズム的思考をライフスタイルに組み込んでいく中で厄介な存在になってくる損得勘定についてのお話。

「自分にとって必要か、大切か」という基準で取捨選択を進めていたはずが、この損得勘定が入り込んでくるといきなり判断が鈍ってしまったり、物質的・精神的にモノを手放せなくなってしまうことがあります。

たとえば、
○ステップアップししたいと思っているのに一歩を踏み出せない。たとえば「いま仕事を辞めるとこんなご時世で色々大変かもしれない、不満はあるけどこのままのほうが得」と考えている。

○セールになると「お買い得!」と、普段なら買わない物まで買ってしまう、セール時期になると必要なくてもショッピングに出かける。

○仲間はずれや孤独よりはマシと、あまり楽しくない人とのお付き合いを続ける。

こんな風に、損得勘定の裏には「リスクを回避したい」という気持ちが働いています。誰だってイヤな目にはあいたくないものです。

そして、こっちの方がいいな、こうしたいな思った時も、損得勘定が入ると「いやいやいや、それはダメでしょう」と冷静な自分がブレーキをかけることも多い。それは危険な目にあったり、失敗して悲しい思いをしたくないという防衛心。ごく自然な反応です。

でも「損するかも、危ないかも」という不安に主導権を渡してしまうと、全てが怖く見えてきて、無難なことしかできなくなるものです。

DSC_3799a

 

そこで、この損得勘定のミニマイズ(最小化)してみる。

代わりに「自分にとって大切かどうか」さらには「好きか嫌いか」という、より正直で直感的な基準に従ってみることにします。

「損かも、危険かも」はあくまで頭の中で考えている可能性であって、100%そうなるとは限らない。でも不安や防衛本能にハンドルを握らせると、シートベルトを3重にしブレーキを踏み込んで、どこにも行けなくなります。

だから、自分と「好き」な気持ちが運転を担当し、「不安」には後部座席に移ってもらい、イザという時の準備をしておいてもらう。

好きを基準に行動すると、万が一損をしたり多少イヤな目にあっても、好きなのだから基本的には大丈夫。多少の損得なんてどうでもいい。だって好きだから。

一方で損得を最大の基準にしていると損をした時のダメージが大きいものです。得をすると思って選んだのに…と恨めしい気持ちになる。相手や自分に怒りすら湧いてきます。

もし同じような2人が同じ選択をして同じ結果になったとしても、その人が何を基準にしているかで幸せ度は全く違ってきますね。

「好き」が自分に与えてくれる価値は損得をあっさり超えるほど大きいのです。

損得勘定のほかにも、もっとミニマイズできそうな要素がきっとたくさんありますね。次回は、ミニマイズできそうな要素のリストを取り上げてみたいと思います。

Share.

About Author

アバター画像

写真家&ライター。東京で広告制作・編集と撮影の仕事を経て2003年渡英。フリーランスで活動中のアーティスト。ロンドンをベースにアーティストや作家をモデルにした絵画的なテイストを持つポートレート制作などを行う。英国をベースとしたエキシビションを開催。日常系ミニマリズム研究家。「あぶそる〜とロンドン」編集長、江國まゆ氏と共に2018年に『ロンドンでしたい100のこと(自由国民社)』(執筆&撮影)、そして2020年には『レス・イズ・モア 夢見るミニマリストでいこう。』を出版。

ウェブサイト

Leave A Reply

CAPTCHA