ルイス・ウェインの猫

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ロンドンもやっと、ついに、だいぶ暖かくなってきた、と思ったら真夏日、そしてまたクールダウン。相変わらず気が抜けない気候ですが、まあ徐々に気温は上がってますかねー。猫たちも衣替えの様子で、このところいつもに増して抜け毛が多く(いやほんとハンパなくて、日々猫の毛の掃除に追われています)、しかも最近どっちかが毎日のようにヘアボールを吐いてるんですけど(吐く瞬間に居合わせると、あの「ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ」っていう、ゼンマイ仕掛けの蠕動運動のような独特の身振りに釘付けになってしまう)、これはやっぱり衣替えに伴う脱毛量の増加による影響とみてよいのでしょうか……。

さて今回は、またまた英国の猫アーティストについて。といっても現在活動しているアーティストではなくて、19世紀後半から20世紀前半に名を馳せた人物です。

その人の名は、ルイス・ウェイン。日本でも伝記が出版されているし、夏目漱石にインスピレーションを与えた(『吾輩は猫である』の中にルイス・ウェインの絵と思しき絵葉書についての記述があるという話。そういえば二人は見た目もどこか似ているような……!?)とも言われているので、猫好きならご存知の方も多いかもしれません。

ルイス・ウェインは擬人化された猫の絵でよく知られていますが、どの絵も「かわいい」だけでは済まされない、奇妙な趣を持っているのが特徴です。例えば『不思議の国のアリス』のチェシャ猫さながら、ニカーッと笑っている猫が作品の中によく登場しますが、この笑い顔が、かわいいというより怖い。大きくクワッと開いた口はひきつっているし、目は笑っていない。どこか楳図かずお先生とか、ホラー漫画を彷彿とさせるものがあります。だいたいにおいて猫は犬と違って大口を開けて笑わないので、まず「猫が笑っている」という設定が奇妙なうえに、複数の猫が一斉にひきつった笑顔を浮かべているというのもインパクトが大きい理由かもしれません。

ウェディング・テーブルとは思えない奇妙さ。新婦が一番怖いし(笑)。(A)

笑っているのか怒っているのかよくわからない表情。ある意味とても猫っぽい。(A)

ルイス・ウェインは1860年8月5日にロンドンのクラーケンウェルで生まれました。父親は生地商人で、フランス人の母親はカーペットや教会で使われるファブリックなどを手がけるフリーランスのテキスタイル・デザイナー。ルイスは長男で、4人の妹がいました。子供の頃は虚弱体質で、ひとり冒険小説などを読み漁って空想に耽る日々だったらしく、10歳になるまで学校にも行けなかったそうです。イーストロンドンのハックニーにある基礎学校に通い始めてからも、よく授業をさぼってミュージアムやテムズ・ドック周辺をうろうろしたりしていたんだとか。中学校に入ってからも自分の世界にこもっているような生徒だったようで、学校の友達から「ちょっと変わったアウトサイダー」と見られていたようです。

実のところルイスはこの頃からすでに自身の将来を見据えていたようで、のちにインタビューで、当時自分が音楽家(オペラの作曲に興味があったとか)、画家、著述家など「なんらかのアーティストになることを夢見ていた」と語っています。その後、ウェスト・ロンドン・スクール・オブ・アートに通い、修学後は同校で補助教員として働くことになります。

しかしその年に父親が亡くなったことで、ルイスは一家を養う大黒柱として家族を支えていかなくてはならなくなりました。そこで、教師としての仕事だけでは事足りず、フリーランスの挿絵画家としても働くようになります。自ら作品を雑誌や絵入り新聞などに売り込んで動物画や風景画の挿絵を手がけるようになり、その才能が認められて1882年には「Illustrated Sporting and Dramatic News」誌のスタッフのポジションを獲得するまでになります。

またその頃、ルイスは、ウェイン家で家庭教師をしていたエミリーと恋に落ちます。しかし彼女はルイスよりも10歳年上。当時は世間的に受け入れ難い事実だったようで、家族の猛反対を受けるのですが、それを押し切って1884年1月に二人は結婚します。ハムステッドの教会で挙げた結婚式には、どちらの家族もまったく出席しなかったそうです。二人はそのままハムステッドに居を構え、のちにルイスの絵の定番モデルとなり、彼のキャリアに転機をもたらすことになるブラック&ホワイトの子猫、ピーターを家族の一員として迎え入れたのでした。

しかし悲劇的なことに、結婚後まもなくしてエミリーが乳がんを患っていることが発覚。病床に伏せていたエミリーにとって、飼い猫のピーターは心の安らぎとなります。ルイスもたびたびエミリーのベッド脇に腰掛けては、ピーターの絵を描いていました。エミリーは、ピーターの絵を編集者に見せるようルイスにしきりに勧めていましたが、この頃ルイスが描いていたのは、犬、うさぎ、魚、鳥などの動物で、猫を描くことは考えていませんでした。

ところがしばらくして「Illustrated London News」にピーターをモデルにしたルイスの絵が掲載され、これをきっかけにいよいよ猫画家ルイス・ウェインの名が世に知られるようになります。そしてその人気を決定づけたのは、1886 年のクリスマスに同誌に掲載された「A Kitten’s Christmas Party」という、どんちゃん騒ぎする200匹近い猫たちの姿を描いた絵でした。動物をテーマにしたストーリー性のあるイラストのはしりと言える画期的な作品で、大きなセンセーションを巻き起こしたのです。

初期のシリーズ作品のひとつ、タビサ先生のキャット・アカデミー。頭に布をぐるぐる巻いている子が、飼い猫ピーターをモデルにした猫。手前の黒猫が読んでいる本のタイトルが「Birds & How to Love them」というのも可笑しい。(A)

エミリーの期待どおり、しかるべき名声を手に入れて喜んだのもつかの間、1887年、なんと結婚後たった3年でエミリーは他界してしまいます。マリルボーン界隈にピーターを連れて引っ越したルイスは、ますます自閉的になりつつも、以後、大量の仕事をこなしていくようになります。ルイスは多作な画家だったらしく、新聞や雑誌、児童書の挿絵のほか、グリーティングカードなども多数手がけ、数百点にものぼる作品を残しました。猫の絵も当初のスタイルからだんだん広がりを見せ、猫たちの擬人化ぶりもますます大胆になり、二足歩行で洋服を着て、紅茶を飲んだり、タバコを吸ったり、本を読んだり、クリケットやテニス、ゴルフをしたりと、それはまさに「猫の顔をした人間」のようです。エドワード朝時代の社会やファッションを反映させ、風刺や皮肉を込めた作品もあったため、ルイスのことを「猫版ホガース(ロココ時代の風刺画家ウィリアム・ホガース)」と呼んだ編集者もいました。

(A)

(A)

ルイスは趣味でさまざまなスポーツを嗜み、それらを絵の題材にもよく取り入れていたそうです。テニス・クラブにも所属していたことがあったのですが、腕はそんなによくなかったらしく、テニスよりもクラブのダンスパーティで変な踊りを踊っていたことでよく知られていたんだとか(笑)。(A)

ルイスはなんとボクシングにものめり込んでいたらしく、鼻を折ったことさえあるそう。この「負け猫」の絵も彼自身の体験を反映しているのかも。他にも絵の題材になっているものは、彼が実際に一度でも体験したことがある可能性が高いといえそう。(B)

ルイスはまた世間的に「猫の専門家」として認知されており、RSPCA(英国動物虐待防止協会)をはじめ、猫にまつわるさまざまな文化的・慈善的活動にも積極的に参加していました。1890年には「ナショナル・キャット・クラブ」の会長に就任し、「Beauty Lives by Kindness(美は優しさによって存在している)」とのモットーが入った同クラブのロゴ・デザインも手がけています。

しかしルイスの「猫理論」は奇抜というか少々独特で、科学的根拠に欠ける見解も多かったようです。ルイスによると、猫が変化を嫌うのは脳が脆弱なせいなのだとか。また「猫はみな自分の毛に帯びた電気の強度に左右されるコンパスを持っていて、その毛は地球のN極かS極のどちらかに引きつけられているので、北か南のいずれかの方向に向いている。そして猫がグルーミングするのは体を洗う目的だけではなく『電気回路を完成させる』ためでもあり、グルーミングすることで熱を生み出し、心地よい感覚を得ている」という持論を展開しています。猫と電磁波という視点は、なんだかSFじみていて面白いなあと思うんですけどね、実際どうなのかは不明です。その他、ルイス自身の目や研究を通して確立した自説の中には「猫を愛する人はみな、最も優しい気性の持ち主である」というのもあり、にっこりさせられるんですが。

ルイスの猫の絵は国民的人気となり、毎年クリスマスにはギフトとしても贈られるアニュアル(年鑑)が出版され「ルイス・ウェインの機知に富んだ猫の絵を目にしないクリスマスは、ドライフルーツが入っていないクリスマス・プディングのようだ」とまで言われました。しかしそれなのに、ルイスはいつもお金に困っていました。それは常に家族を支えなくてはならなかったことと、彼がシャイな性格で交渉ごとが苦手だったため、「版権」というものを全く行使せず、多くの作品が再利用されたり、別の媒体で使われたりしたにもかかわらず、それらに対して収入を得ることが全くできなかったことにあるようです。偽の署名が入った偽造品なども出回っていて、訴訟を起こしてもおかしくない状況だったのですが、お金がなくてそれもできなかったのだとか。

1907年にはニューヨークに渡り、ここでも多くの仕事のオファーを受けて高く評価されるのですが、ある発明家に投資して失敗したことで、またもや無一文になってしまいます。そして1910年、妹から母親が病気だという知らせを受けて帰郷することにするのですが、残念ながらルイスが戻ってきた時、すでに母親は他界していました。

そしてその7年後、家計を切り盛りしていた一番上の妹が、インフルエンザをこじらせた末に肺炎で亡くなったことがルイスに決定的な打撃を与えます。ルイスはその頃から徐々に妄想に苦しむようになり、他の妹たちが彼の所持金や私物を盗んでいるなどと言っては暴れたり、支離滅裂な言動を繰り返したりするようになります。やがて妹たちの手には負えないようになり、医師から精神病と診断されたルイスは、63歳にして南ロンドンの精神病院に入院します(ちなみに一番下の妹がやはり29歳で精神病を発病して13年もの間、入院しており、1913 年に亡くなっています)。

統合失調症に苛まれながらも、入院後まもなくルイスは再び絵を描き始めます。そして一年ほど経過した頃、保護観察者として病院を訪れた書籍販売業の男性が、物静かなこの患者が猫の絵を描いているのを見て「おや、おまえさん、ルイス・ウェインみたいな絵を描くねえ」と声をかけたところ「私がそのルイス・ウェインですよ」との答えが返ってきてびっくり仰天し、このアーティストの治療環境を向上すべきだとして立ち上がります。

結果的に時の首相ラムゼイ・マクドナルドさえもが「15〜20年ほど前、ルイス・ウェインの絵はどの家の壁にも飾ってあった。彼ほど当時の少年たちに影響を与えたアーティストはいない」とコメントして手を差し伸べ、あのH・G・ウェルズも「みんなルイス・ウェインの猫を見て育った。彼の絵がない保育園はほとんどなかった」とした上で「彼は自分の猫を作った。スタイル、社会、そしてその世界を創り上げた。ルイス・ウェインの猫のように振る舞わない英国の猫は、自らを恥じるべきである」と語るなど、さまざまな著名人からのアピールが功を奏し、ルイスはより行き届いた環境の病院に移送されます。やや忘れられかけていたアーティストが再発見された時でした。20世紀に入っても古風な19世紀の話し方や振る舞い、装いを保っていたルイスも、セレブとしてのこのVIPな厚遇を喜んでいたようです。

1930年、入院先の病院の移転に伴い、ルイスはハートフォードシャーの別の病院に移送されます。70歳になっていた彼にとって、引っ越しと環境変化に対応するのは一苦労だったようですが、この病院には広々とした眺めのいい庭が備わっていて、鳥や野生動物の姿も見られる好環境だったため、まもなくして落ち着き、相変わらず絵を描いて過ごしていたようです。

この頃から彼の描く猫は、万華鏡のような幾何学模様、はたまたサイケデリックな抽象画のようになっていて、中にはほとんど猫の姿を残していないようなものもあります。この変化を「統合失調症の悪化」と見る向きもあるようですが、彼の精神病的な兆候はもっと初期の頃の絵にも現れていたとする説や、テキスタイル・デザイナーだった母親の作品の影響からこのような模様を描いたとする説などもあり、真相は不明のようです。私のような素人からすれば、初期と後期でだいぶそのスタイルを変えるアーティストは世の中にゴマンといるので、病気と関連づけるのはあまりにも短絡的のように思えますけどね。なんにせよ、この時期の彼の作品はまた一味違った強烈さで、目を見張るものがあります。

photo source: http://mer-ka-vah.tumblr.com/post/138432773189/louiswain

photo source:http://mer-ka-vah.tumblr.com/post/138432773189/louiswain

ルイス・ウェインの最後の個展は1937年にロンドンのギャラリーで開催されました。150点もの作品が、10シリングから10ポンドで販売されたそうです。そして1939年、ほぼ寝たきりで、言うことも完全に支離滅裂となっていたルイスは、79歳の誕生日を目の前にしてこの世を去りました。彼の遺体は、ケンサル・グリーンのSt.Mary’s Cemetery に、父と2人の妹とともに葬られています。

私自身は、ルイス・ウェインが描く猫の絵もさることながら、シャイでチャーミング、そしてちょっと変わったその人柄や、猫についての見解にも興味と好感をおぼえます。彼の絵にそれがすべて表れているように思います。

やんちゃな子猫たちのシリーズは文句なしにかわいくて好きです。(A)

デヴィッド・ホックニーかと思うようなタッチの絵もあったりして。(A)

前述のH・G・ウェルズの言葉を念頭にうちの猫たちを見ると、確かにタムタムもラミーもルイス・ウェインの絵に出てきそうな感じがして誇らしく思え、なんだかニヤニヤしてしまいます。ほんとに、どの猫も「ルイス・ウェインの子供たち」と言えそうですね。

余談ですが、初めてルイス・ウェインの猫の絵を見た時、あれ?どっかで見たことある絵だなあと思って記憶を辿ったところ、以前、神田の古本屋で見つけて買った一枚のポストカードを思い出しました。どこかにしまってあるはずと思って探してみたらすぐに見つかったのですが、よく見ると、似ているけどルイス・ウェインの作品じゃない……。裏には京都書院のクレジットが入っているけれど、誰の作品なのか、どこかから拝借したイラストなのか等々、詳細ははっきりせず。でも、古い雑誌の挿絵のコピーのように見えるし、ユーモアのセンスや猫の目の形までそっくりなところを見ると、確実にパクリ、もとい、なんらかの影響を受けていることは間違いないと思われます。しかし彼がお金に困っていて、贋作も多く出回っていたという事実を知った今では、正直ちょっと心苦しく感じられたりもします。

(参考資料&写真:(A)Louis Wain’s Cats by Michael Parkin, (B) A Cat Compendium: The Worlds of Louis Wain by Peter Haining)

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About Author

旅行誌や情報誌、広告等の編集&ライターの仕事を経て2005年に渡英、デヴォン州に約9ヵ月、ロンドンに約4年滞在。2008年頃からベースを弾き始め、バンド活動を開始。2010年より東京—ロンドンを行き来し、2014年に結婚を機に拠点をロンドンに移す。現在は主に翻訳ローカライゼーションの仕事をしながら、DIYパンク/インディポップ/ガレージポップ系の複数のバンドで活動中。 Etsy shopオープン中です:https://www.etsy.com/uk/shop/TubbingRummy

2件のコメント

  1. さとりっぷる on

    編集長〜コメントありがとうございます、そうなんですねー。ルイス・ウェイン、探せば探すほどいろんな絵が出てきて興味が尽きません =^..^=

  2. アバター画像

    とても感動しました。ルイス・ウェインと認識せずに、けっこう多くの絵を目にしていたように思います。とくに最後期の幾何学模様の絵は、日本でもよく奇妙な絵としてアンチンボルドの絵とかと同じカテゴリーで紹介されていたりして。ああ、この人だったんだと納得。そして彼を紹介するさとりっぷるさんのやさしい視点にうふうるしました。紹介ありがとう!

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