マスク社会が見せてくれるもの。遠いイギリスで祖国を思う

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私はツイッター好きでよくつぶやくのだけど(@ absltldnです^^)、他の方のツイートをチェックするのも社会見学という意味で大好物だ。いろんな考え方があって、さまざまな視点がある。これぞ地球が存在している理由。互いに自分を見せ合い、そこから何かを感じとることで、自分自身を知る。そのことが日々、世界中で起こっている。

昨今、ダイバーシティという言葉が盛んに言われるようになった。多様性の受け入れに向けて世界が今、方向転換中なのだ。

地球に暮らす何十億という人々が、一人ひとり異なる個性や志向や考え方を持っている。皆がとてもユニークな存在だということ。そこに同等の価値があるということ。それが社会的に認められてしかるべきだ、という社会風潮が近年高まっているのである。こういったダイバーシティの受け入れが世界のトレンドであり、その先に「インクルーシブ」(調和を伴う共生)という考え方がある(SDGsとかありますしね)。

しかし今、日本はそのトレンドに逆行しているように見えて仕方ないのだが・・・

イーストボーンの海! リラックスタイムです^^

日本に関して、最近のツイートで気になるのはマスクの着用をめぐって継続派と離脱派が対立しているように見えること。今朝起きると「#ノーマスク」がトレンド入りしていて、興味深くそれぞれの陣営の意見を見させていただき、ふとこの文章を書こうと思った。

イギリスはいち早く「コロナはインフル宣言」をして、世界に先駆け正常な生活に戻ったこともあり、個人的には現在ロンドンに暮らしていることに感謝している。

イギリス、ことロンドンには日本とは比べものにならないダイバーシティがあり、社会として成り立たせるために互いへのリスペクトが欠かせないものになっている。もちろん個人レベルでの偏見はあるだろうが、それを見せることが必ずしもいいとされない世の中なので、それぞれが表立って批判したりしない。少なくとも私が所属している社会は。

イギリスの飾らないのに豊かな暮らし365日』でも書いたのだけど、イギリスはジョーク魂が社会の階層に潜む問題をくまなく拾っている気がしてならない。自分たちを客観視する力もまだ残っている。自己批判をジョークに転化することも得意だ。ブラックな笑いの中に社会批判を込めてそれぞれが腹のなかでほくそ笑む。

先日レビューを書いたNetflixドラマ「After Life」では、主人公のリッキー・ジャヴェイスが表裏のない人間にを演じることで最初は混乱を引き起こすが、最終的には調和に向かっていく様子が描かれている。このドラマにはイギリスの社会的な階層が屈託なく描かれているので、女王陛下のイギリスだけではない英国を知りたい方にはおすすめしたい。

一方、日本のニュース・SNSを見たり一時帰国帰りの友人たちの話を聞いたりしていると、マスク強要社会の凄まじさ、その弊害に驚く。

個人的には、マスクをつけたい人は引き続きすればいいと思う。持病のある方、気管支系統が弱い方などは、ご自身でプロテクトするという意味でも着用されている方が安心だろう。

しかし健康な人が嫌々マスクをするのは、どうだろうか。もともとマスクはプロテクションの意味合いが強いもので、他の人に自分が迷惑をかけないためにしていた。もちろん自分を守るためのマスクもある。公害や雑菌から自分を守りたいと思う人が、自己プロテクションのために着ける場合も多くなっているようだ。

しかし今、健康でマスクが必要ではない人が、40度近い真夏の日にマスクをして不健康になっている様子が、日々のニュースや伝聞を通して遠いイギリスまで見えてきている。一体どういう社会なのだろうかと、外からみているとディストピアめいていて、うすら寒い感じさえする。

マスクの着用有無は、特に義務化されていない社会であれば完全に個人の自由なので、マスクの必要性がないと感じているなら、マスクをしない選択肢をした方がいいのでないかと思う。当たり前のことなのだけど。マスクをすることが苦しく、健康を損なっていると感じるならなおさらだ。そしてマスクを外している人に対して、その選択を尊重する寛容さも必要なのだよね、当たり前のことなのだけど。

そのことに関しては、昨年秋プレジデント・オンラインさんへの記事で筋道立てて書かせていただいたので、ぜひそちらもお読みいただきたい

ブライトンの海! リラックスしよう♪

折に触れてネットの世界を眺めていて思うのは「マスクを着けるのが嫌ならやめればいいのでは?」ということとと、「自分と違う考えを持つ人を社会悪とみなすのをやめてみては?」ということ。

もう少し踏み込んで言うと、すでに世界がコロナウイルスを脅威とはみなしていない中で、なぜ日本だけがこんなにマスクに執着しているのか、見直してみる必要があるのでは?ということだ。

多くの人が暮らす社会では間違いなく秩序は必要だ。しかし秩序は軍隊式の命令系統で実現させるべきものではない。ましてや隣組制度のような監視社会に生きることが本当に幸せなことなのかどうかは、すでに多くの人が答えを出しているだろう。

冒頭でも書いたが、世界は「ダイバーシティ」「インクルーシブ」がキーワードとなりつつある。世界は今、自分とは違う者を受け入れる寛容な社会を目指そうとしている。日本は安全な社会だと言われるけれど、今の状況を見ていると本当に「住みやすい」社会なのかと首をひねってしまう。

ただし個人レベルでの気づきは多いのかもしれないと、ふと思う。それぞれがこの社会体験を通して、自分ができることを知り、優しさ、勇気に触れ、人生の新たな章に移行している人もいるのかもしれない。そこはまさに個人体験の領域であり、ぜひとも充実したい部分ではある。

マスクをしない選択を恐れないで。自分の健康を損ねてまで社会貢献する必要がないと、気づいて欲しい。国家は個人の幸せのためにあり、決してその反対ではない。そして住みやすい社会とは個人が育んでいくもので、社会的プレッシャーを優先するところからは生まれない。

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岡山県倉敷市出身。ロンドンを拠点に活動するライター、編集者。東京の文芸系出版社勤務、雑誌編集・ライターを経て、1998年渡英。英系制作会社にて数多くの日本語プロジェクトに関わった後、2009年からフリーランス、各種媒体に寄稿中。2014年にイギリス情報サイト「あぶそる~とロンドン」を立ち上げ、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活、人間の可能性について模索中。著書に『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房) 『ロンドンでしたい100のこと』『イギリスの飾らないのに豊かな暮らし 365日』『コッツウォルズ』(自由国民社)。NHK文化センター名古屋教室「江國まゆのイギリス便り」講師。MUSIC BIRDのラジオ番組「ガウラジ」に月一でゲスト出演。チャネリングをベースとしたヒーラー「エウリーナ」としても活動中(保江邦夫氏との共著『シリウス宇宙連合アシュター司令官 vs.保江邦夫緊急指令対談』もある)。Instagram: @ekumayu

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