<Cumberland rum nicky ・ Cumberland rum butter カンバーランドラムニッキー・カンバーランドラムバター>
カンバーランドとはイングランド北西部に存在した長い歴史を持つカウンティの名前。今では隣接するWestmorlandやLancashire、Yorkshire の一部と統合され「カンブリア」とカウンティ名は変わってしまいましたが、広く海に面した地の利を生かし昔から貿易で非常に栄えた土地でした。その貿易がもたらす異国の産物はカンバーランドの食に多くの影響を与え独特な食文化が生まれたため、カンバーランドの名は今も数々のお菓子に、料理に残っています。
17世紀から18世紀にかけてカンバーランドのWhitehaven の港には西インド諸島やカリブ海周辺の島々から大量の砂糖やスパイス、ラム酒などエキゾチックな品々が次から次へと運び込まれました。それらは当時としては高価な食材でしたが、そこに働く人々は給金の代わりに現物支給を受けることもあり、イギリスにしては珍しく古くからジンジャーやシナモン、ラム酒などを使った調理が浸透していったのです。中でも有名なのが今日ご紹介する「カンバーランドラムニッキー」。ペストリーを敷いたパイ皿に、フィリングとして入れられるのはまさに常夏の彼の地から運び込まれた食材たち。デーツにステムジンジャー(しょうがのシロップ漬け)、褐色の砂糖にラム酒。そして上にかぶせるペストリーをラティス状にするのが大きな特徴。その名前の由来は諸説ありますが、よく聞くのは船乗りたちがドライフルーツを漬け込むのにラム酒をよくくすねていた(nick=盗む)からだとか、このタルトを作るのに必要な材料を船から勝手に持ち出していたからだとか、、、。このカンバーランドラムニッキーの他にもカンブリア地方には似たようなお菓子として、「Cumberland square(カンバーランドスクエア)」や「Cumberland currant cake (カンバーランドカランツケーキ)」といったペストリーでラム酒やスパイスの効いたドライフルーツをサンドするお菓子が多く存在します。貿易云々にかかわらず、りんごや梨などフレッシュのフルーツを豊富に使えるイギリス南部と比べ、北部に行けば行くほど、1年を通してドライフルーツを大量に使ったものが多くなります。それもこの辺りのお菓子の特徴のひとつと言えるでしょう。
そしてカンバーランドとラムと言えば、忘れてはならないのが「カンバーランドラムバター」。柔らかくした(あるいは溶かした)バターにたっぷりのブラウンシュガー、そしてラム酒を混ぜたもので、そこに大抵ナツメグでアクセントを加えてあります。パンやクラッカーに塗って食べたり、別名「Hard sauce(ハードソース)」 と呼ばれることがあるようにブランデーバター同様、クリスマスプディングやミンスパイに添えることも。これもやはりカンバーランドの港が貿易で潤っていた18世紀頃に生みだされた1品ですが、今もなおWhitehaven周辺や湖水地方では瓶入りのラムバターが売られています。ブランデーバターは基本的にクリスマスシーズンに登場するものですが、これはトーストやスコーンなどに塗ったりと日常的に1年を通して楽しむもの。ただし歴史的に見ると、このラムバター、もともとは赤ちゃんのChristening(洗礼式)と深く関わりのあるものでした。現在も地域によっては続いているそうですが、カンブリア地方には、洗礼式のために訪れてくれた人々にラムバターとオーツケーキを振舞うという慣習があるそうです。受け皿と蓋付きの専用の器に入れられたラムバター、食べ終えた客人はその中にシルバーコインを代わりに入れて返します。時には一度入れたコインをその器の中でひっくり返してわざとべとべとにすることもあるのだとか。ラムバターで汚れた器に貼り付いた沢山のコインにはその赤ちゃんが将来お金に困る事がないように、という願いが込められているのだそうです。また、一番最初にそのラムバターの器にスプーンを入れた女性は次に妊娠する、なんて言い伝えも。他にはこんな話もあります~この地域では昔、生まれたばかりの赤ちゃんの頭をラム酒で清める風習があったことから、英語の ”Wetting the baby’s head”(「赤ちゃんの誕生を祝杯を挙げて祝う、酔う」)という表現が生まれたのだとか、、、。
もちろん、ラムニッキー同様、ラムバター誕生物語も多数存在。「ある霧の朝、ラムとバターと砂糖を密輸しようとしていた海賊が、沿岸の警備の目を逃れて逃げ込んだ洞窟、その中で潮が満ち閉じ込められてしまったのですが、その積荷のラムとバターと砂糖を混ぜ合わせたもので生き延びられた」というストーリーや、「ある農婦が浜に打ち上げられたラム酒の樽を持ち帰り、食品庫にしまっておいたところ、実は樽にひびが入っており、下においてあったバターと砂糖に染み込んで、偶然美味しいラムバターができあがっていました」というストーリー、はたまた「南方からの食料を詰め込んだ貿易船がある日嵐にあい、積荷の中でラム酒の樽が割れてしまい、一緒に積んであった砂糖やバターと混ざり合って出来たのがラムバターだった」などなど。とにかく沢山ありますが、いずれもどこそこのシェフが~とか、どこそこのお菓子屋さんが~的な説ではなく、「嵐や海のおかげで偶然にできた産物」という点で共通していますね。
ラム酒が香る「カンバーランドラムニッキー」と「カンバーランドラムバター」。今でこそ世界中のものがなんでも簡単に手に入る時代ですが、17~18世紀のイギリスの人々にとっては太陽の光溢れる彼の地への憧憬がさらなるスパイスとなり、これらを一層美味しく感じさせてくれたことでしょう。かく言う私もラム酒の香りなんて慣れているはずなのに、「イギリス菓子」として口にすると、なんだかとても新鮮な気がしてしまうのですから不思議なものです(^^)