Delina デリーナ
「ここは本当にイギリス?」思わず目を凝らしてしまう異国情緒あふれる庶民マーケットが、西ロンドンのシェパーズ・ブッシュにあります。雑多なお店が屋台風に並ぶ通りがあり、横道を入るとさらに迷路のような一画も発見できるような ^^
大型ショッピング・モール「ウェストフィールド」が目と鼻の先にあるとは思えない、このレトロ感は何!? これだから、ロンドンはやめられません^^
高架下ならではの個性を味わえるこのシェパーズ・ブッシュ・マーケットをぶらぶら歩いていると、人気のエチオピア・カフェ「Delina」が見えてきます。2020年頃からこの場所で営業しているコミュニティ・カフェであります。
一歩入って、歓声! 「広い! 明るい!」壁は赤土を思い起こさせる大地の色。アーチを描く天井が、まるで大空のよう。自然への敬意、自国へのオマージュが感じられる空間は今にもレゲエの音楽が聞こえてきそうなリラックス感に満ちています♪
デリーナは2013 年夏、ナザレスさんという東アフリカ出身の女性の手によって産声をあげました。当初は路面店ではなく、西ロンドンのさまざまなマーケットを巡回する小さなエチオピア屋台でした。それがご縁あってこの高架下の素敵な空間に落ち着いたというわけ。
ロンドンにはたくさんのエチオピア料理の店があり私も時折いただくのですが、ほぼ100%の確率で出てくるのが、このスタイル。丸いトレイにクレープ状のパンが敷かれ、その上に彩りも豊かなたっぷりの野菜や豆の料理が載ったものです♡ 手でいただくとなお美味し。
このクレープ状のものは「インジェラ」と呼ばれる伝統の主食です。原料はイネ科の穀物であるテフの粉。テフって聞いたことがなかったのですが、今で言うスーパーフードの一種で鉄分が多く栄養的にも優れているのだそうです。グルテン・フリーなので小麦アレルギーの人もOK。なんだか現代的な食材ですね。
粉を水で溶き、3日ほど寝かせて発酵させたものを巨大な鉄板で薄いクレープ状に焼き上げる。片面だけを焼くことでポツポツの穴を残し、このポツポツが美しく色白に焼き上がればより良いインジェラだが、本当はもう少し濃い色に焼く方が、風味も良くなるのだとか。
インジェラ生地の発酵には乳酸菌が関わるので、少し酸味があります。この酸味が好きな人には、たまらない柔らかクレープ。私は実を言うとビッグ・ファンというわけではないのですが、このエチオピアの惣菜にはよく合うと思います。
インジェラの上にのせるのが、現地で「ワット」と呼ばれる惣菜類です。デリーナも栄養豊かで優しい味の野菜料理とパンチのある肉料理を提供しています。幾種類もあるワットですが、日本のお惣菜と同様、色や味のバランスが考慮されていると思われます。このカラフルなお皿にはやはり惚れてしまいますよね♡
そしてエチオピアはまさにコーヒーの原産地! 生の豆を焙煎し、その香りを楽しむ文化あり。そのためになんとお作法まであるとのことで、驚きました。
伝統的には特別な粘土のポット「ジャバナ」でコーヒーを淹れ、香りを楽しみながらいただくのだそうです。ジャバナに直接水を入れて沸騰させ、火を止めてコーヒーの粉を入れて4~5分ほど抽出。乾燥させた植物の繊維で口を塞いで蒸らし、小さなカップに注いでいきます。
エチオピアでコーヒーは「仲間と飲むもの」。多くの人とともに時間を共有するための道具でもあるのです。デリーナでは、昔ながらの方法でコーヒー豆を焙煎し、淹れる作法を学ぶクラスまで開催しているそうです。まさにエチオピア文化の伝道所!
というわけで、エチオピア料理を学ぶクラスも、折に触れて開催。グループで楽しい時間を過ごしながらグルテン・フリーの美味しいレシピをマスターするというのは、かなり現代人の生活に合っているように思えます。作り終わったらテーブルについて皆でシェア。楽しいコミュニティになりそうです!
現在イギリスには約9万人のエチオピア生まれ、またはエチオピアにルーツを持つ人々が住んでおり、そのうちの約8割がロンドンを拠点にしていると言われています。
大量の移民が発生したきっかけとなったのが、1974年に勃発したクーデター。翌年には帝政が廃止され、皇帝は廃嫡となりました。 さらに1991年に起きた内戦で、さらなる難民が発生。現在も政治不安が続いているため亡命する人が後を絶たないそうです。
彼らは主に北・西・南ロンドンにコミュニティを作っているようです。先日、全く別のエチオピア・カフェ「Addis Vegan Cafe」に行ってきました。そこは南ロンドンで、周囲はアフリカ料理屋さんだらけ。アフリカ料理といえば肉料理を思い浮かべますが、エチオピアは野菜を重視する文化であるところが際立っていると思います。
エチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世については、面白いエピソードがわんさとあります。彼は1930年代にエチオピアの奴隷制度に終止符を打った人なんです。それで国民の支持を一気に集めた。晩年も決して尊敬を失っていたわけではないのですが、寄る年波には勝てず、保守的になりすぎ急速に求心力を失っていきます。
そういった現実の彼とは別に、ハイレ・セラシエ1世を神格化する動きもありました。それが現在「ラスタファーライ運動」として知られる社会思想運動です。アディス・カフェのエチオピア人オーナーさんが教えてくれたのですが、ハイレ・セラシエ1世は、アフリカ回帰運動の一環として、当時、悪名高い奴隷制度の犠牲となっていたジャマイカの人々をエチオピアに迎え入れる法制を整えたそうです。ジャマイカ人であればビザなしでエチオピアに自由に入国でき、無料で土地を配給される。そんな夢のような制度を作ってジャマイカンたちを歓迎しました。カフェ・オーナーさんによると、現在もその制度は生きていて、自分たちが買えない土地を、ジャマイカの人々は買うことができると。
ちょっと調べてみると今はそういう法制は形骸化しているようですが、今でもジャマイカとエチオピアは強いつながりがある。ラスタファーライ運動は後に、ボブ・マーリーなどのレゲエ・ミュージシャンが自由を訴えるための思想として活用され、そこからまた新たな伝説が生まれていきます。
「Delina / デリーナ」とは、エチオピアの方言であるティグリニア語で「欲しい」という意味だそうです。素晴らしい料理をともに分かち合うことに繋がっているのだとか。エチオピアには、分かち合いの精神が根底にある、ともいえそうです。